先日、エルピーダが会社更生法の適用を申請し、事実上破綻した。苦境が伝えられて久しいため特に驚きはないが、公的資金まで投じられた国策会社がついに倒れたという点では色々と感慨深いものがある。
同社破綻の理由については、各所で言いつくされている。一言でいえば、半導体がどんどん汎用品化する中、より付加価値の高い製品を開発するための「選択と集中」ができなかったからだ。この3月期決算で歴史的な大赤字に転落した電機各社にも、この症状は共通している。
日本には、事業整理を妨げるしがらみが多すぎる
ただ、これらは「各社の経営陣が無能だから」で済む話とは思えない。むしろ個人的には彼らに同情している側面もある。というのも、事業を統廃合する際のしがらみの多さを、筆者自身も経験しているからだ。
たとえば、エルピーダのように複数の会社の事業を切りだして統合する際、裏方には膨大な事務作業が発生する。基本給から退職金制度まで、まったく異なる各社の一部門を引き取って一つの制度に統合するのだが、これがとんでもなく骨の折れる作業なのだ(もちろん、各親会社の労組と個別に協議しないといけない)。
たまに「会社は辞令一枚で従業員の配置転換から転籍までなんでも命令できる」と思っている人がいるが、大きな誤解である。
さらに言うなら、そういった形での事業整理は、体力的に余裕のある同業が国内に存在する場合に成立する余地がある。90年代なら、テレビだろうが半導体だろうが、国内の同業に必ず買い手がいて、多少の引き出物をつければ事業の譲渡は可能だった。
一方、現在では国内でそういった嫁ぎ先が見つかるケースは稀だろう。「従業員の現在の処遇は60歳まで保証してください」というのし付きで、海の向こうの企業が手をあげるのは、よほど幸運なケースだ。
テレビのように、明らかに行く末の暗いレールを各社がずるずると進み続けているのは、それがベストだと考えているのではなく、そうするしかないから、というのが実情ではないか。今回のリリースを出した際のパナソニックのトップ会見で、今後のビジョンや自信といったものが、筆者にはまったく感じられなかった。
しがらみを取り除く「国の介入」はあってよい
もし仮に、早期に選択と集中が行われていれば結果はどうなっていただろう。
三菱電機は、パナソニックやソニーといった競合に勝てないと見切りをつけ、90年代末から産業用製品に特化する道を選んだ。同じころ富士通は、ライバルNECがガッチリとNTTに食い込んでいるため、やむを得ず海外展開に力を入れた。
両社ともそれが幸いし、この3月期も黒字を確保する見込みだ。しがらみさえ捨てられれば、日本のエレクトロニクスには地力があるということだ。
国による上からの産業政策はナンセンスだとの声が圧倒的だが、筆者は、しがらみを取り除く形での介入はあってよいと思う。
先のない事業を維持させるための手助けではなく、本当に組織が生まれ変わるための手術と、その痛み止めこそ、官民一体となって実現すべき目標ではないだろうか。
城 繁幸