「朝まで生テレビ!」から「日曜討論」、「報道ステーション」のようなニュース番組では、しばしば立場の違う人同士が集められ、対決させられる。最近、このジャンルにおいて、橋下徹さんというムチャクチャ強力なキャラが出現し、対決した相手をコテンパンに叩きのめし続けている。
つい先日も、北大の山口二郎センセイが報ステで、ほとんど一方的にどつきまわされていたわけだが、見ていてふと感じたことがある。これは四角いジャングルなんだな、ということだ。
安易な両論併記で「面白い絵」のみ追求
みんながそうだとは言わないけれども、テレビや雑誌といった大衆向けメディアの作り手の中には、何かを伝えたいのではなく、どうやったら面白い絵になるか、という点のみで企画している人たちがいる。バラエティはそれでいいと思うが、報道関係の作り手の中にも、実はそういう人は少なくない。
筆者自身、以前にある報道番組で、あまりにもかみ合わない相手と議論させられた際に、いったいあなた自身はどういう意見を持っているのかとプロデューサーに質問したところ、「わかりません」と素で返されて面食らったことがある。
少なくとも彼には伝えるべきメッセージなど何もなく、番組がそれらしく見えればそれでよかったのだろう。
この場合のそれらしく、というのは、立場の違う人同士を出演させておけば、報道機関としての「中立的」なスタンスが装えるという意味だ。決して政策的なバランスとか実現可能性とか、まして専門家や学界における評価などを鑑みた上での「中立」というわけではない。
とりあえず流行ってる人(この場合は橋下さん)を連れてきて、とりあえずそれを批判している人たち(山口二郎とか香山リカとか内田なんとか)も、言ってることが正しいかは抜きにして並べといて「ほら、俺って立派な両論併記」と斜に構えている部分が、テレビや週刊誌には少なからずある。
極論すると、一方がダイヤモンドであったとしても、片方はそこらへんに転がっている石っころを拾ってきて並べただけかもしれない。