クライアントを失う勇気を持つ
そんなとき、クライアントは誰だっけ、と僕は自問する。いろいろな考えを巡らせる。それでも波紋を起こすと分かっていても、あえて提案することがある。
まだ駆け出しだったころ、こんなことを習った。
「クライアントを失ってもいいから、本当のことを言いなさい」
僕は、その言葉を反芻しながらクライアントに向かう。もちろん、ある種の恐怖感があるのだけれど。
本当は、クライアントの期待値通りにレポートを書くのが一番楽だ。次のプロジェクトにつながる可能性も高いかもしれない。しかし、それだけは「プロフェッショナル」として決してやってはいけないと、心に決めている。
あるとき、僕はクライアントのトップとふたりだけで話していた。クライアントの基幹事業について、思いもよらぬ結論を見出していたからだ。生涯利益を計算すると、その基幹事業はクライアントの思っているほどビューティフルではないことに気づいてしまった。
長い沈黙がつづいていた。トップは困惑している。これまで最優秀の人材を投入してきた事業だったからだ。僕は何も言えなかった。なんとも言えない時間だけが過ぎっていった。その間、僕はひたすら空(くう)を見つめ、間も悪さに気づかないふりをしていたような気がする。
やがてミーティングが終わり、エレベータホールの前で別れた。その人とは、随分親しくさせてもらってきた。あれから数年経ったけれども、あれ以来お目に掛っていない。昔のように笑ってグラスを傾けられる日がいつか来ることを、心の中で願っている。
大庫 直樹