どちらの道でも一流を目指して
アート・ディレクター氏をお誘いしたその美術館は、僕の自宅の近くにある。日本の抽象画の草分け的存在の、アトリエを活用して建築された個人美術館だ。不揃いな樹木がかえって野趣をそそる。その雰囲気に惹かれ、仕事疲れの僕はときどき訪れる。
人物をここまで抽象化したカタチで表現されてしまうと、館長の解説抜きでは、作品が何を表現しているのかなかなか分からない。分からないのだけれども、何か訴えかけられるものを感じる。絵の前に時間を忘れて立ち止まる。だからこそ、アートなのであろう。
教会にある宗教画や富豪の肖像画など、クライアントが存在するものもあるが、この画家には基本的にいない。クライアントがいない中で、自分が描きたいものを描く。カタチのひとつひとつ、線のひとつひとつを自分で判断して描いていかなければならない。
どんなに葛藤があり、勇気が必要だったろう。自己表現に磨きをかけ、人物を記号化したカタチで表現する作風、彼のロジック、方法論に集大成していった。彼は「プロフェッショナル」ではなく「マエストロ」として、彼の仕事を昇華させたのだと思う。
僕は、いろいろな偶然が積み重なって、たまたまコンサルタントという「プロフェッショナル」の道を歩むことになった。クライアントがあって、彼らにとって最善を尽くすことが仕事になった。
画家はマエストロとして、自己表現を追求することになる。クライアントはいないが、画を見た人は気持ちを揺さぶられる。マエストロとプロフェッショナルの道は、紙一重のところで交わることがないのだろうが、どちらの道であっても一流と呼ばれるまで努力を重ねていく。僕はそれが一番大事なことと思っている。
大庫 直樹