僕がまだ若くてコンサルティングを始めた頃からコンサルティング業界には、ひとつの不文律があった。「ファクトの前では、みんな平等である」というルールだ。
みんな平等であるから、プロジェクト・チーム内では自由に発言できた。どんなシニアなコンサルタントに対しても(パートナーであってもオフィス・マネージャーであっても)、新米の僕にですらも反論の機会が許された。ただし、ルールに沿って、論拠となるデータや分析結果を示さなければいけない。
どんなに有名なコンサルタントだって、顔を真っ赤にしながらも、最後まで僕たち新米の意見を聞いてくれた。僕もいつしか年季を重ね、今では100人を超えるコンサルタントたちを鼓舞する立場になった。僕自身が若かったあの時代の、あの教えを守ろうとしている。若手コンサルタントこそ、100%の時間をひとつのクライアントに投入し、一番よく問題の原因や解決可能性を知っているからだ。
「物理学者アインシュタイン」が生まれた背景
このことを考えるとき、しばしばアルベルト・アインシュタインのことを思い起こす。その名を知らぬ者はいない、20世紀最高の物理学者である。
1905年は物理学の世界では奇跡の年と呼ばれている。なぜなら、アインシュタインによって特殊相対性理論、光電効果、ブラウン運動といった現代物理学を創り上げていく基礎となる考え方を一気に開花させた年だからである。
1905年のアインシュタインに、もうひとつ着目しなければいけない事実がある。それは当時、彼がスイスのベルン特許局の3等技術士に過ぎなかったことだ。アカデミアの世界からは、遠く離れた世界の住人に過ぎなかった。全くの無名の存在であり、特殊相対性理論は当時、大学に受け入れられなかったのだ。
その時代、すでに名声を確立していた物理学者に、マックス・プランクがいた。今では量子論の父と称されて、高校の物理学の授業でも習うプランク定数を導き出した人、エネルギーの値が連続的な数値をとることができないことを示唆した人である。これだけでも十分に凄い業績だと思う。
でも、僕がそれ以上に凄いと思っている彼の業績は、無名であったアインシュタインの考え出した特殊相対性理論という、それまでの物理学の常識を一気に変える考え方を受け入れたことにあると思っている。マックス・プランクは、誰が言ったかで正しいかどうかではなく、内容が正しいかどうかを見て判断をしている。僕は、そうしたジャッジメントは簡単そうで、なかなかできないことを知っている。現実に、その時代の多くの物理学者は、アインシュタインの考えを受け入れるのに躊躇していた。
「みんなが言っていること」が正しいとは限らない
クライアントにとって最善を尽くすためには、正しいか正しくないか、内容そのものを吟味していくことが、「プロフェッショナル」の前提条件のように、僕は思っている。
特にコンサルティングの現場は、大企業の組織の中である。いろいろな思惑が犇めきあっている。課題を見極める、そのときから組織内のポリティクスにひきづられては、正しい答えに辿り着くことはできない。
クライアント内部には、自分を守るために、ニュアンスを変えたり、事実とあえて違うことを伝えてきたりする人だっている。もちろん、それはどんなにシニアな人であっても、トップであっても、そういうことはしないと言い切ることはできない。
それに、みんなが言っていることが正しい、ということほど疑わしいことはない。みんなが責任をとらないですむように、そう言っているだけかもしれない。
だから、何ら根拠もないのに、偉い人の意見に合わせてご機嫌をとったり、みんながそう言っているのだからと鵜呑みにしてみたりしてはいけないのだ。ポリティクスを考えるのは、あるべき答えをみつけ、組織をどう誘導すべきか考え始めるときからだ。
大庫 直樹