「東大卒が増えると会社が傾く」という言葉がある。東大OBはもちろんのこと、日ごろから学歴に関心の高い日本人ビジネスパースンの多くは、きっと一度は聞いたことがあるフレーズだろう。
実際、東電やJALのように、東大閥で傾く会社は少なくない。広い意味では、東大卒の宝庫である霞が関も、組織を傾かせている東大閥と言えるかもしれない。
「東大卒がアホだからだ!」
と言ってしまえばそれまでだが、少なくとも個人ではお勉強ができた人たちが、複数集まるとこけてしまう理由とは何だろう。
有事に弱い「お勉強ができる」組織
当たり前の話だが、会社が大きくなって給料が上がると、優秀な人材が採れるようになる。
ただし、その優秀さというのは数多あるうちの「お勉強ができる」という一つのモノサシである可能性が極めて高い。特に、新卒一発勝負の日本では、(中途での出入りが少ない分)そのモノサシ一本で生きてきた人間が集まりやすくなる。
さらに言えば、そういうタイプの人間は、自分たちと同じような価値観の人間を評価しようとするから、勉強はイマイチだけどアイデア豊富なタイプや、前例にこだわらずに成果を上げる人間は淘汰される傾向がある。
つまり、会社が成熟期に入りお給料が高止まりしてくると、雑多な遺伝子が淘汰され、ただ「テストに強い」という遺伝子のみに偏ってしまう傾向がどうしても強くなってしまうということだ。
これが、「東大卒会社破綻論」のロジックである。平時には強いが有事に右往左往する大組織というのは、大なり小なりこういう遺伝子を持っている。
では、組織はあえて、どんな遺伝子を取り込むべきだろうか。色々あっていいと思うが、あえて一つあげろと言われれば、それは「仕事LOVE」だと思う。
社会が「仕事LOVE」になればいい
どれくらい、その仕事に思い入れがあるか。どれくらい、仕事を通じて実現したいモノを持っているか。こういう想いを山ほど抱え込んだ人材というのは、偏差値20程度の壁は跳ね返して活躍するものだ。
そして、社会が仕事LOVEを求めるようになれば、教育の中身も変わるだろう。どれだけ仕事の中身を理解し、好きになり、その先をイメージできるかが、テストの点と同じくらい重視される社会の到来だ。
そのための多様な授業が小学校からスタートするに違いない。それこそ、ゆとり教育が目指しつつ、結局は手に入れることがなかった果実だと考えている。
もちろん、多様な遺伝子を採りこむためには、新卒一発勝負(=終身雇用制度)にメスを入れなければならないことは言うまでもない。これから「ポストゆとり教育」として、教育制度がいろいろと議論されるはずだが、教育が変わる前に、まずは社会の側が変わるべきだろう。
城 繁幸