東京を離れて、西日本や香港に拠点を移す外資系企業が相次いでいる。「外国人だから仕方ない」とか「日本人に比べて根性がないからだ」とかいったチープな議論が目につくが、やはり関西に移る外資勤務の知人と話していて、いろいろと考えさせられてしまった。
彼からすると、むしろ日本人の能天気さが不思議なのだという。
「普段は政治に無関心なのに、いざという時はどうしてそんなに国まかせになれるの?」
この言葉は、かなり本質を突いていると思う。
「信用」と「思考停止」は同じではない
原発の件を見ても明らかなように、リスクは絶対にゼロにはできない。誰かが、がっぷり四つで向き合って、それを引き受けるしかない。
通常それは国家の役割であり、国家に対しては有権者が選挙を通じてチェック機能を果たすというのが、民主主義のシステムである。
ここで重要なのは、政府を信用するということと、みんなで思考停止になるというのは、まったく別の話だということ。
政府にすべてを丸投げするのなら、それに足る政府であるように、我々自身が常に関心を持ってチェックし続けなければならない。
たとえば、政府にやる気がなかったら、政権交代させて活を入れないといけないし、官僚と業界が癒着してなあなあになっていたら、官僚制度自体にメスを入れさせないといけない。
もちろん「そういうのは面倒くさいから、やりたい奴で勝手にやってよ」というのも一つの選択肢だ。ただその場合、リスクは各自で管理しないといけない。つまり、何があっても文句は言えないし、そもそも政府は信用するべきではない。
そういう意味では、もともと選挙権もない彼ら外国人のフットワークが軽いのは、当然と言えば当然だ。だって、彼らには自己防衛に徹するしかないのだから。
むしろ、普段はデモもやらないお上丸投げぶりなくせに、自分のリスクにすら無関心な我々が不思議でならないのだろう。冒頭の言葉は、それをよく言い表していると思う。
「お上がうまくやってくれる」は思い込み
個人的には、避難する予定はまったくないけれども、どこかで「政府が大丈夫だって言ってるんだから、大丈夫だろう」くらいの気持ちでいたのも事実だ。
でもこれからは、自分の手で情報を収集した上で判断しようと思う。少なくとも、僕は今の政府が十分なチェックを受けているとは思わないからだ。
そういえば以前、ある企業の労組と仕事をした際、一人の従業員から、
「会社の指示通りに働いてきたのに、賃下げされるなんて納得できない」
と言われたことがある。
「言われたことさえやっていれば、給料が保証される」なんて、根拠のない勝手な思い込みに過ぎないのだが、「お上が常にうまくやってくれるだろう」というのもまた、根拠のない思い込みである。
城 繁幸