先日、大手新聞記者の友人に久しぶりに会ったところ、「自分の就職は失敗だった」と嘆いていて驚いた。確かに新聞業界は業界全体が地盤沈下し、各社とも賃金カーブのピークを40歳に切り下げようと懸命になっている。つまり、これからは30代でほとんどの社員は出世も昇給も頭打ちということだ。彼がやけっぱちになる気もわからんではない。
ただし、聞けば誰もが知っている全国紙だし、30代で年収は一千万を優に超えていて、このご時世、はっきりいって相当恵まれた就職先だと思われる。いったい彼のフラストレーションはどこから来るのか。
「新卒総合職」以外の労働市場あっていい
簡単に言うと、彼の人生に対する期待値が高すぎたということだ。そこそこの学歴のある人間なら、大企業に就職して、最低でも部長くらいには出世するという人生モデルを思い描いている。そう考えると、確かに30代で打ち止めというのは少しさびしいものがある。
まあ異業種に転職してゼロから挑戦してもよいのだけど、普通は下を向いて生きるしかない。
一方で、世の中には、安定した大手に入りたくても入れない人がたくさんいて、その中には「安定さえしていればそれで十分だ」という人も少なくない(というか、そっちの方が多いはず)。そう言う人にとっては、冒頭の彼なんて「いいもん食い過ぎて痛風になっちゃったよ」という金持ちみたいなものだろう。両者とも、それぞれにフラストレーションを抱えているわけだ。
ただ、これを解消する方法ははっきりしている。入り口の採用段階で、「ハイリスク・ハイリターン」コースと「ローリスク・ローリターン」コースに切り分ければいいだけの話だ。マネジメントや高付加価値専門職コースは年俸制にして、成果次第でポンとボーナスはずむ代わりに出来なきゃガンガンくびにすればいい。
逆に、一般の事務や定型業務は、基本給は低いが安定しているといった具合に切り分けすれば、それぞれに志望者が集まることだろう。冒頭の彼のような人は最初からハイリスクコースに進むだろうし、キャリアにも海外駐在にも興味ないよという人まで、無理してESを作文する必要はなくなるはず。
とりあえず、猫も杓子も新卒一括採用で十把一絡げに採用し、15年くらいかけて振り分けようとするから、社会のあちこちにフラストレーションが溜まってしまうのだ。
大学卒業予定者の内定率57.6%という数字(2010年10月1日時点。これが最も実情に近いと思われる)は、もはや小手先の努力でどうにかなるものではない。変に背伸びしないで「新卒の総合職」以外の商品も取引できる市場を作れば、今よりずっと生きやすい社会が実現するはずだ。
城 繁幸