出版社や書店で働く人の間で、「遅読のすすめ」が話題になっている。きっかけは、2010年12月23日付の朝日新聞に掲載されたコラムだ。
筆者の佐久間文子氏は、朝日新聞の文芸・読書面を担当する編集委員。仕事で読むべき本が多くあり、本を読むのも速い。しかし周囲から「月に何冊、本を読むの?」「読むの、速いでしょう?」と言われると、だんだん恥ずかしく感じるようになってきたのだという。
すべての本を「遅く」読む必要もない?
佐久間氏は、以前は自分の速読を誇るようなところがあったが、いまでは意識的にゆっくり読むことを心がけている。きっかけは、取材で会う作家やアーチストには「私は読むのが遅い」という人が多いと気づいたこと。
「彼らは読むのは遅いかわりに、一つひとつの言葉をゆるがせにしない。本質を理解して、大事な一節を正確に記憶している」
そして、小説家の「書き手はみんな、自分の本をスロー・リーディングしてもらう前提で書いている」という言葉を引いたり、98歳の伝説の国語教師が薄い岩波文庫を3年かけて読ませる例を紹介したりしながら、「遅読のすすめ」を説く。
確かに、ケータイやパソコンを通じて読む文字量が増える一方で、書籍を手に取りゆっくりと時間をかけて活字を追う経験は減っている。
一方で、多忙なビジネスパーソンのホンネは、「そんなに時間をかけていられない」といったところだ。
都心の大型書店に勤めるKさんも、コラムに疑問を呈する。「読書欄の担当が仕事なら、遅読とか言っていられないでしょう。それに、すべての本を遅く読む必要もない」
小説や古典は、確かに文章を味わったり考えたりしながら読むところに面白さがあるが、それ以外では速読が必要なこともあるという。
「多忙なビジネスパーソンにとって、ネットや書籍から高速でインプットできるスキルは必要。いま流行の『速読術』は、ビジネスパーソンが対象になっているわけですから、別に問題ないんじゃないですか」
とはいえ、速読術の流行に対しては、疑いの目を向けているところもあるという。
「能力アップをうたっていますが、実はビジネス書の売り上げを加速するために煽っている側面があるようにも思えます」
「大事な一節、ネットに流れてくる」
ビジネス書のカテゴリーには「自己啓発書市場」というマーケットがあり、年に数十冊、数百冊と購入する「お得意先」がいる。そんな彼らに速読術を身につけてもらえれば、さらに大量の本を買ってもらえるという目論見があるのではないか。
さらに読者の中からは、
「自分もビジネス書を書いて有名になりたい」
「書評ブログのアフィリエイトで儲けたい」
という人も現れ、高額のセミナーも開かれている。
Kさんは「速読術も出版セミナーも、ビジネスパーソンの不安を煽ってお金を集める一連のビジネスサイクルにしか見えない」と手厳しい。
あらためて考えてみれば、曲芸のように速く読む必要もないのかもしれない。Kさんも「目次を頭に入れてから、本文で大事そうなところを中心に押さえるだけでも、だいぶ速く読める」と助言する。
また、佐久間氏がいう「(ゆっくり読めば)大事な一節が発見できるかも」という点については、意外なネットの効用を指摘する。
「最近、書評ブログで引用された書籍の『大事な一節』が、ツイッターに転載されているのを目にします。それをきっかけに、ネット書店の売り上げが伸びることもある。名フレーズを読む環境を考えたら、昔よりもずいぶん面白い状況になっていると思います」