日テレ労組が先月末、今年3度目となるストを実行した。ちょっと妙な話だ。
普通、ストというのは「賃上げしてくれなきゃ働かないぞ」といってやるものである。それが、言われなきゃ気づかないほど、日テレは通常通り放送されている(僕自身、ストをやっているらしいという話は知っていたが、3回目とは知らなかった)。
番組制作を支える「物言わぬ働き手」
よく、「日本の労組はストもやらないヘタレだ」という人がいるが、日本ではストやる方がバカである。
だって、終身雇用でこれからもずっとその会社にい続ける以上、ストなんかやって売り上げが激減したら困るのは自分たちだ。
しかも上場企業では、たいてい持ち株会という制度があって、労組=株主でもある。こうなると、ストといってもビルの屋上で「聞いてくれなきゃ飛び降りるからね!」と言っているようなものだろう。
だから、日本では好況時はもちろん、不況時もストなんてありえない。ストがありえるのは、労働市場がある程度流動的で、企業横断的な職種別労組があるような国だけだ。
逆にいえば、TBSや日テレのようにホントにストをやっちゃうテレビ局というのは、日本では非常に特殊なケースと言える。では、なぜ彼らはストができるのか。
それは、実際の番組制作は、ほとんどが制作会社によって行われているため、ストをやっても放送への支障が軽微なためだ。彼らが「古き良き労働組合」というわけではなくて、むしろ「物言わぬ働き手」が別にいるからこそできる芸当なのだ。
「お家騒動」を農民は冷ややかに見ている
そういう意味では、今回の日テレのストというのは、世間でいうところのストライキとは本質的に全く別物である。はっきりいうが、彼らは搾取される哀れな労働者でもないし、会社の業績を盾に綱渡りの交渉を繰り広げているわけでもない。
制作会社に仕事させつつ、正社員という安全地帯の中から、ノーリスクで「もっと寄こせ」とわめいているに過ぎない。
これはいったいなんだろうか。
強いていうなら、「そんなに働いているわけでもない人たち同士の分け前をめぐる争い」という意味で、江戸時代のお家騒動に近い気がする。
「わが方こそ正義なり」
「いやいや、われらこそ義である」
といって争うお侍さんたちを、実際に生産活動に従事していた農民や町人は、きっと冷めた目で見ていたに違いない。
テレビ局労組の「闘争」がどこかしらじらしく見えてしまうのは、我々の多くも、昔の農民同様に、実際の生産活動で飯を食っている身分だからだろう。
城 繁幸