日本の企業ではこれまで、決められたことをきっちりと「こなす」社員を重用してきました。しかし企業や組織の課題が流動的になり、新しい試みをせざるをえなくなると、「何をすべきか」というところまで自分で考えて、実行する力が求められるようになります。
安定期の正論は意味がなくなった
先日、専門商社の中堅社員にヒアリングする機会がありました。そこで「あなたの役割は何ですか?」と尋ねたところ、ある人は自分が今やっている手元の業務について説明しました。またある人は、少し考えた末に「上司からきちんと説明を受けていない」と答えました。
役割とは、自分が生み出すべき成果の範囲のことです。単に目の前の作業だけでなく、それが何のために、どういう目的・目標を達成するために行われているか、ということとセットで説明できなくてはなりません。
「私の会社は、このような背景の中でこのような戦略を進めており、私の部署にはこのような課題があります。その中で私は、○○を××する取り組みを進める役割を担っています」
といった説明を自分で組み立てられなければ、役割を十分認識しているとはいえないでしょう。
このように言うと、「組織の中で役割は自分勝手に決められるものではない」「それを与えるのが上司の仕事でしょう?」と考える人がいるかもしれません。
しかしそれは安定期の正論ではあって、現在のような変革期においては、そのやり方では組織も個人も変化に対応することはできません。
龍馬も答えを探し続けた
上司から与えられる役割が全てではない理由は、ほとんどの会社において、不透明な先行きを見越して将来を見据えた明確な戦略など構築することなど、ほとんど不可能だからです。
多くの制約の中で、いわば「走りながら考える」ことを余儀なくされているのです。組織で働くプレイヤーも、考えつつ実行しながら、結果を組織にフィードバックすることを求められます。
人気のNHK大河ドラマ「龍馬伝」でも、主人公の坂本龍馬は、まさに「己の役割」を見出すべく、苦悩しながらも自分なりの行動を取っています。そして、人に会って自分の考えをぶつけ、答えを探し続けています。
そのような行動が重要だという意味で、幕末と現代には似たようなところがあるのではないかと思います。
確かに、会社の戦略や個人の役割がシンプルで明確になっていると、働く人たちのモチベーションは上がり、仕事の効率効果も上がりやすくなります。
一方、それらが明確になっていない場合、つらいですが「自分なりに考えながら行動すべし」としかいいようがありません。変革期には、自分の役割を自分で切り拓くことを当たり前として受け止める必要があります。
自分の役割を主体的に見出す
とはいえ、まずは念のため、上司に対して「私の役割は何でしょうか?」と尋ねてみましょう。非常に大きな役割を求めてくる場合もあるでしょうし、「こういう期待をしている」と有益なアドバイスをくれるかもしれません。
あるいは「特にないよ。与えられた目の前の仕事をちゃんとやって」としか言われないかもしれません。いずれの場合でも、上司の要求には従いつつ、自分の考えを放棄する必要はありません。自分の仮説を、実行を通じて検証していけばよいのです。
たとえば、組織の課題を自分なりに俯瞰して見ることで、
「若手の能力の底上げが不可欠だ。ならば自分は中堅社員として、若手の育成にどうやって関わればよいのか?」
といった与えられた仕事以外の「役割」が見えてきて、それを実行することで組織の課題や会社の戦略をクリアすることができるわけです。
少しくらい「余計なことをするな」と叱られたとしても、気にすることはありません。何もしなければ叱られませんが、自分の能力が磨かれず、いずれ自分の居場所もなくなります。
これによって、「やはり自分の考えは間違っていなかった」「この部分は予想とは異なっていたから、今後はこうしよう」などという形で、考えや行動の精度を高めていくことができます。
この経験は、自分が会社や組織を担う役割を与えられたときに、必ず役に立ちます。逆に言えば、このような経験を積み重ねない限り、深く考えられた戦略や課題を立てる力が身につかないのです。
自分の役割を主体的に見出し、前向きに取り組むことができれば、必ず職場で頭ひとつ抜けた「稼げる人」になれることでしょう。
高城幸司