最近、若者の「内向き」が話題となることが多い。海外勤務はもちろん、国内の転勤すら嫌がり、中にはそれを理由に辞める新人もいるそうだ。僕自身、若者の内向きの原因についてコメントを求められることもある。
でも、素朴な疑問なのだが、そもそも若者が「外向き」だった時代なんて、過去数十年のうちにあったのだろうか?
就活で「海外希望」と言ったけれど
思い起こせば90年代半ば、確かに僕や周囲の同期はみな就職活動時、商社やメーカーで海外駐在することを熱く面接で語り、そういうOBがいれば行って話を聞き、内定後は「海外希望」なんて希望部署欄に記入したものだ。
でも、ぶっちゃけ本気で海外行きたかったかというとそんなことはなくて、行き帰りとかめんどくさいし食い物はマズそうだし、というかそもそも旅行ならともかく仕事で行きたいなんて思っていなかった。
ではなぜ「海外勤務」なんて口に出していたかと言うと、周囲がみんなそうだったから。「とりあえず周囲に合わせておく」というのは日本の古き良き伝統である。
なんてことを言うと、
「それはおまえだけだ! 俺は違う!」
という人もいるかもしれない。そりゃあ4年間真面目に授業に出て、専攻はもちろん語学や一般教養も磨き、世界で活躍するための準備に余念がなかったという素晴らしい人材は、確かに僕なんかと一括りにされたら怒るだろう。
でもね、僕は在学中、そんな人間にはただの一人もお目にかかったことがないんですよね。
「あなたを愛してるわ」とか「部長を尊敬しています」なんて口で言うのは簡単で、本気でそう思っているかどうかはその人の態度でわかる。
同様に、学生時代に真剣に外を向いていたかどうかも、生活姿勢でわかるというもの。その限りにおいて、僕は90年代以前の元学生も、けして外向きではなかったと考えている。
空気を読まない人間が流れを作る
そう考えると、「外国なんて行きたくない」「転勤は勘弁してください」なんて言う新人というのも、本質的には従来と変わらないと思われる。
彼らが実はドメスティックで定住志向だと表明するようになったのは、乗っている企業、いや日本という船そのものが緩やかに地盤沈下し続けている中で、何も見ず何も変えようとしない日本社会そのものの空気を読んだからだろう。
ほら、今まさに空気を読まない政党が国政ほったらかしで代表選なんてやってるほどだもの。流されているという意味では、我々はみな同じである。
「じゃあ日本はいったいどうなるんだ?」
と思う人もいるかもしれないが、心配は無用だ。いつの時代にも、空気を読まずに自分の意思で流れを作る人間はいる。
むしろ、出口のないムラ社会で一生懸命に滅私奉公している人間よりも、内向きと言われる若者の中にこそ、新しい流れは生まれつつあるのかもしれない。
城 繁幸