イヤホンでゲーム 自分だけで生きてるつもりか

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   先月26日、東京のJR山手線原宿駅で、ホームを歩きながら携帯ゲーム機を操作していた小学6年生の男児が線路に転落しました。

   以前、当欄で駅員の方が抱いている不安を紹介しましたが、とうとう的中してしまったかたちです。

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ぶつかったって謝りもしない

   このニュースを聞いた友人の親御さんは、別のケースで危険な目にあったそうです。

「ウチの親はもう70代。この間、外出したらちょうど花火大会とかち合ったらしくて、某ターミナル駅のホームに溢れんばかりに人がいて」

   階段を降りて人の流れに押されるままホームを進んだのですが、どんどん端の方へと追いやられてしまいます。

   ホームの反対側ギリギリまで並ぶ人の列を避けようとしたその時、前から歩いてきた若者にぶつかられ、線路に転落しそうになったのだとか。

「その若いやつは、MP3プレーヤーのイヤホンをして、ケータイかゲーム機を操作していて、前も見ずに歩いてきたんだって。ぶつかっても謝りもしないし、バランスを崩して倒れかけた親を放ったまま、そのまんま行っちゃったって」

   たしかに、イヤホンをしてiPhoneやケータイを操作し、街なかや車内で通行や他人の邪魔になっている人は、このところ目に余ります。

   五感で得られる周囲の情報をまったく遮断しているわけですから、そりゃ人にぶつかったりと、事故にもなるでしょう。

「まったく、自分さえ良ければいい、自分だけで生きてる、とでも思ってるのかねぇ」

他人の存在を認めて振る舞おう

   その当人が事故に遭うのは自己責任のうちでしょうが、関係のない他人を巻き込んでトラブルになるのは、はた迷惑で済めばまだマシで、場合によっては犯罪加害者ともなりかねません。

   ネット炎上に代表されるように、他人の非常識に対して不寛容な時代と言われます。

   でも、自分の行為についてはどうでしょうか?

   他人からの不寛容に耐えられるだけの、常識を逸脱したものではないのでしょうか?

   他人の存在を認めて思いやって振る舞うのは、難しくないし、やってみると気持ちも良いものなんですがね。

井上トシユキ


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井上トシユキ
1964年、京都市出身。同志社大学文学部卒業(1989)。会社員を経て、1998年よりジャーナリスト、ライター。東海テレビ「ぴーかんテレビ」金曜日コメンテーター。著書は「カネと野望のインターネット10年史 IT革命の裏を紐解く」(扶桑社新書)、「2ちゃんねる宣言 挑発するメディア」(文藝春秋)など。
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