同僚とともに会社を辞め、1年をかけてサッカー南アW杯の出場32カ国を訪問するプロジェクト「世界一蹴の旅」を達成した四方健太郎氏。日本サッカーの「決定力不足」を打破するために、KY(空気を読めない)と言われることを恐れず、チャンスには自らシュートを打っていこうと呼びかける。
真剣に「勝負」するから遊びも楽しい
――「決定力不足」という言葉は、(ゴールに向かう意識の感じられない)日本選手のプレーを見て、多くの評論家たちが揃って口にする言葉である。彼らは声を揃えて「(シュートを)打つべきだ」という。
僕の周りにも、数多くのサッカージャーナリストと呼ばれる職業の知り合いがいる。もちろん彼らの多くは、メディアを通じて日本代表が展開するサッカーの「決定力不足」を嘆いている面々である。
その彼らがオフの日に、僕も一緒にフットサルをして遊ぶことがある。実は、この時、彼らのほとんどがシュートを打とうとしない。決定的な場面でパスを選択することが多いのだ。
僕や僕のようなKYの人がいてシュートを打とうものなら、「せっかくの遊びなんだから、もっとパス回そうよ」と口にする。たとえ言葉にしなくても、そういう空気がピッチ上に流れる。
しかし、である。ここには大きな矛盾が存在する。彼らは無意識に「パス>シュート」という構図の下でプレーしているのである。だからこそ、遊びの時はシュートせずにパスをしようということになる。
代表がやるサッカーと、遊びでやるフットサルは、本質的に何か違うだろうか。日本人のサッカー文化の中で、「パスをつなぐサッカーこそが楽しい」という価値観が植えつけられているとしか思えない。
・・・「和をもって貴しとなす」とする聖徳太子から受け継いだ良きDNAも、シュートに関しては、あえて「勝負」を意識したメンタリティを醸成し、どんどんシュートを打っても「サブい」と思わない土壌を日本で育んでいかなければ、世界レベルで戦える真のストライカーは育ってこないように思う――
(四方健太郎著『世界はジャパンをどう見たか?』経済界、80~83頁より)
(会社ウォッチ編集部のひとこと)
四方さんが勤務していた外資系コンサルティング会社での話。日本オフィスが作成する「しばしば必要以上に手間とコストをかけた資料」を、海外オフィスのスタッフたちは「アート」と呼んでいたそうだ。四方さんはそこにも、日本サッカーの問題点の芽を見出している。資料は商品のひとつだが、本来の目的はクライアント企業の成長と、彼らからの評価。華麗なテクニックやメンバー間の秩序などの「手段」を「目的」と混同することが、「決定力不足」の正体だと繰り返し指摘する。