会社を辞めた後に、「未払いの残業代がある」と会社に請求する人が増えているようです。会社は不意打ちと思うでしょうが、心当たりがあれば無視することはできません。ある会社では、退職者の母親に駆け込まれて激しいクレームを受け、事態の収拾に戸惑っています。
「どんぶり勘定」に応えるわけにはいかないが
――飲食チェーン店の人事担当です。退職した社員A君の母親が、会社にクレームを言いに来ました。用件は、A君へ未払い残業代を即刻全額支払えというもの。
A君は、1年半ほど前に入社。同僚たちとの折り合いが悪く、先輩社員とのトラブルをきっかけに1カ月前に退職した20代の男性です。
「息子に聞いたら、会社は残業代を全然支払っていなかったというじゃありませんか。私は家にいたから、毎晩遅くまで残業してたことはよく知っているんですよ。ホント、なんてひどい会社なのかしら!」などと猛烈な勢いでまくしたて、勤務日と残業時間、未払いの残業代が計算されたリストを突き出しました。金額は合計150万円。帰宅時間や本人のメモから算出したとのことでした。
当社では店舗ごとにタイムカードで時間管理をしており、それに従って本部で給与計算をして振り込んでいます。ただ、各店舗に管理をまかせっきりのところもあり、運用が不適切だったり、ルーズな部分があったりすることは認めざるを得ません。
ただし、シフト表やタイムカード、店長の日報などを基にした試算と、A君の母親が提出した資料を見比べると、金額にかなり開きがある「どんぶり勘定」と思えてなりません。A君が出勤した記録のない日まで残業代を請求してきています。
当社側の推計は、未払い分は20数万円で、百万円以上の水増し請求があるように思えます。こんなカネは払えないと突っぱねようとも考えましたが、そんなことをして労働基準監督署に駆け込まれてはかないません。どういう形でことを収めていけばよいのでしょうか――
社会保険労務士・野崎大輔のコメント
残業代算出の根拠が問われる
会社が認識すべきは、残業代の未払いは労働基準法に違反する行為であるということです。退職者から請求があった場合には、算出方法が正しいと認められれば、会社は全額を支払う義務があります。「問題社員だったから支払えない」ということはできません。
退職者の請求にあたり、タイムカードが実態を反映していない場合には、メモなどで補充してもよいことになっています。もしその記録に誤りや捏造があるとしたら、その証明は会社側で行わなければなりません。裁判になれば、双方が算出の根拠としたものの信用性が問われるでしょう。タイムカードの運用はルーズだったようですので、それを補充する会社側の資料の信用性が決め手となります。相手の言い分を覆す資料が提出できなければ、請求額をそのまま支払わざるを得ないでしょう。なお、母親との話があまりにかみ合わない場合には、かえって労働基準監督署に仲裁をしてもらった方がよい場合もあるかもしれません。
臨床心理士・尾崎健一のコメント
相手を感情的に落ち着かせることも大切
会社に落ち度があるのなら「カネを払えばいいんだろう?」という姿勢ではリスクがあります。弱みに付け込まれてもいけませんが、未払いがあったことをわび、再発防止をすると伝えた上で、妥当な金額を支払う必要があります。本来は本人と話をすべきですが、母親を門前払いするのではなく、言い分に耳を傾けて感情的に落ち着かせることも事態収拾には必要でしょう。
この件がこじれるとすれば、会社が労働時間管理を適切に行っていなかったことが原因です。未払い賃金だけでなく、従業員が健康を害したり労災を起こしたりした場合にも、会社の責任が大きく問われます。最近は年俸制やみなし労働時間制をとっている会社も多いと思いますが、労働時間管理が不要になるわけではありません。みなし残業制度も、適切な労働時間管理が行われていることを前提に認められるものですので、あまりに実態とかけはなれていると、未払い残業代を請求されるので要注意です。
(本コラムについて)
臨床心理士の尾崎健一と、社会保険労務士の野崎大輔が、企業の人事部門の方々からよく受ける相談内容について、専門的見地を踏まえて回答を検討します。なお、毎回の相談事例は、特定の相談そのままの内容ではありませんので、ご了承ください。