最近、女性社員に机の上で“コマネチ”をやらせた部長さんが訴えられて話題となった。会社側は争っているようだから断言は出来ないものの、印象としては、なんとも日本的な出来事だなというところだ。
この手の話は、もちろん地位悪用のセクハラ、パワハラが本質ではあるが、根っこの部分では日本型雇用とも微妙に関係がある。
20年前に身につけた「マナー」はなかなか変えられない
日本企業において、いわゆる部長クラスについて一定の人事権を握るのは、一般的に45歳以降の“おじさん”である。社会人としての資質は主に20代で形成されるから、彼が身につけたスキルやマナーと現在では、だいたい20年くらいのギャップが存在することになる。
もちろん、スキルは日々の学習で徐々に上書きされていくので、それほど劣化はしない(勉強しない人も多いけど)。問題はマナーの方だ。個人的な感想としては、いったん身につけてしまったマナー的なものは、なかなか後から変えられないものだ。ここに、ハラスメントを産むギャップが生じてしまう。
時代とともに、善悪の基準は変わる。「女は家庭に入りなさい」とか「女性は一般職限定だよ」とか言うのは、今では立派なセクハラだが、20年前は違法ではなかった。
「週休二日なんて甘えるな!」
「営業なら飯は立って食え!」
というのは、今言うとただのバカだが、そういうスポ根的姿勢が偉いとされた時代も確かにあった。なんといっても「24時間戦えますか」というCMがゴールデンタイムに流されていたほどの国である。
オヤジイズムが組織に「沈殿」する年功序列
ギャップは、たまにメディアにも顔を出す。渡辺淳一の連載が大好きな日経新聞が代表だ。
主人公のオヤジが不倫で大活躍するストーリーで、まさに中高年ホワイトカラー向けのヒロイックファンタジーなのだけど、日経新聞の中でいつもあそこだけ濃厚なオヤジ臭が立ち込めていた気がする。
要するに、ニュースは新鮮でも、作っている側も読んでいる側もオヤジが主役だということだ。
そういう古い価値観がいつまでも上書きされず、組織の上部に深く「沈殿」してしまうというのも、年功序列の一つの面である。
日本企業におけるセクハラ、パワハラには、たいていはそういうオヤジイズムがどこかしら感じられるものだ。“コマネチ”という20年以上昔のしょうもないギャグを強要する部長さんからは、日本がなかなか変われない構図がぼんやりと見えてくる。
城 繁幸