あいまいで個人差もある「何をして迷惑とするのか」

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   先日、ある地方都市の電車内で、こんなトラブルの現場に居合わせました。

   若いサラリーマン風の男性2人が、乗降口のすぐ横でケータイゲーム機で遊んでいました。車両の中ほどで、乗降口が開くときには、左右両方から乗り降りする乗客がやってくる場所です。

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「迷惑になっているだろう」「何が迷惑なの?」

   実際、駅に着いても2人はまったく動じることもなくゲーム機をいじっているので、乗り降りする人のなかには、迷惑そうな顔で睨む人もいました。

   とうとう、側にいた中年男性が注意しました。

「君ら、ちょっと迷惑になっているだろう。ゲームを止めないか!」

   車内にいた人たちの間には、中年男性に何となく与する雰囲気があります。

   若い2人は中年男性の注意に従うかと思いきや、相次いで反論を始めました。

「何が迷惑なの? 別に大きい音を出しているわけでもないし、騒いでいるわけでもないじゃない」
「乗り降りする人の邪魔にならないよう、こっちだって避けてんじゃん」

   意外な反論に、中年男性も車内の人たちも、ちょっと面食らった感じになってしまい、後が続きません。

   気まずい空気が流れます。

多くの人が不快と感じない「最低限のマナー」を考える

   結局、次の駅で中年男性も若い2人も下車していき、何事もなかったかのようになりました。

   何をして迷惑とするのか。その基準は実はあいまいではあり、ガチガチにルール化できるものでもありません。

   いままでにない振る舞いに対し、奇異と感じることを迷惑とひとまとめにして排除するような気持ちがないかと言われれば、本音を言えば、なかなか微妙なところです。

   何をもって不快と感じるかについても、個人差があることは認めなければなりません。

   とはいえ、多くの人が不快と感じない、最低限のマナーは守るべきでしょう。

   ケータイやケータイゲーム機とわれわれとの付き合いは、まだ始まったばかりです。みなさんは、どのようにお考えですか?

井上トシユキ


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井上トシユキ
1964年、京都市出身。同志社大学文学部卒業(1989)。会社員を経て、1998年よりジャーナリスト、ライター。東海テレビ「ぴーかんテレビ」金曜日コメンテーター。著書は「カネと野望のインターネット10年史 IT革命の裏を紐解く」(扶桑社新書)、「2ちゃんねる宣言 挑発するメディア」(文藝春秋)など。
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