モノが売れないと言われている中でも、売れているモノもある。クルマは売れないが自転車は売れる。デパートは売れないがユニクロは売れる。テレビは見ないがネットは見る。団塊ジュニアを中心とする、そのような購買傾向を持つ層を、消費社会研究家の三浦展氏は「シンプル族」と名づけている。
買い換えを促す「企業側の論理」はもう通用しない
日本に今、新しい消費者が増大している。「シンプル族」という名の消費者である。旧来型の企業はこのシンプル族の増大を恐れている。
・・・シンプルな暮らしの魅力に気づいてしまったシンプル族は、たとえ今後景気が回復しても、もう浪費的な生活には戻らないだろう。だから、このシンプル族を理解しなければ、もう企業は生き残れないのだ。
実際は、企業はこのシンプル族がじわじわ増えてきていることに気がついている。消費者を集めてどんな商品が欲しいかとインタビューすれば、余計なデザインをするな、余計な色を付けるな、余計な機能を付けるな、ゴテゴテさせるな、何もしなくてもいい、普通がいいという声ばかりが聞こえてくるからである。
ではなぜそうした声に耳を傾けてシンプルな物を作ってこなかったかというと、シンプルな物だと高価格にできない。飽きのこないデザインだと買い換えてもらえないという企業側の論理のためである。もうひとつは、シンプルで飽きのこない普通のデザインのほうが、デザイナーのセンスの良し悪しが露呈される、難しいデザインだからである。それほどのセンスのあるデザイナーなら企業内にとどまらずに独立してしまうからである。
しかしもう猶予はない。いよいよシンプル族の時代がやってきたのだ。
(三浦展著『シンプル族の反乱』KKベストセラーズ、3~8頁より)
(会社ウォッチ編集部のひとこと)
副題は「モノを買わない消費者の登場」。シンプル族の生活原理は「物をあまり消費しない。ためない」「手仕事を重んじる」「基本的な生活を愛する」の3つで、自動車やテレビ離れもこの流れの一環という。著者は、いま企業の部課長クラスを務める1960年代生まれの「バブリー族」は、シンプル族の部下に乗り越えられるべき存在、と手厳しい。「すべてはリーマンショックが悪い」「インターネットが悪い」と問題解決の糸口をつかみあぐねている人に、新たな視点を与えてくれるかもしれない。