先日、記者さんから「内定取り消しについて、どう思われますか?」と聞かれたのだが、どう答えたものか迷ってしまった。
悪いことには違いないが、果たして誰が悪いのか。
仮に「一切の内定取り消しを禁ずる」とやってしまうと、取り消そうとしている企業は遠からず潰れる(実際、取り消し後2年以内に4割の企業が倒産しているというデータもある)。さらにいえば、翌年の新卒採用からは、企業は一気にハードルを引き上げてくる。具体的には、正社員はごく一部の幹部候補に絞り、あとは非正規で代用するだろう。要するに、内定を取り消される若者が減る代わりに、正社員内定を貰える人間も減るわけだ。
結局のところ、雇用調整は、どこかで誰かが引き受けなければならないということだ。本質的な問題は、その誰かが立場の弱い学生にだけ押し付けられてしまっている点、そして日本においては、新卒の時にこけると後でなかなか挽回できないと言う点にある。
これはいつも言っているように、年功序列では22歳の新人がもっとも低コストで、そこから離れるほど割高になってしまうことが大きい。1年くらいいいじゃないか、なんで2浪はいいんだ、なんてよく聞かれるが、僕もはっきりした理由はわからない。ただ慣習として、ある程度の規模の企業では、既卒はほとんど採ろうとしないのが実情だ。
既卒化を防ぐために、学費を大幅に減免して取り消し学生を留年させてくれる青学(青山学院大学)のような大学は優しいと思うが、単位は揃っているのに留年しなきゃならないというのも妙な話だ。
90年代の「就職氷河期」の教訓を無駄にするな
根本的な対策は、処遇の流動化を進め、年功序列色を薄めていくことだ。そうすれば既存社員の人件費も見直されるから内定取り消し自体は減るだろうし、仮に起こったとしても、すぐに就職活動に取り掛かればいい。
もはや半年や1年の遅れは問題ではないからだ。
そう考えると、「違反企業名を公開する」だの「合理的な取り消し理由の無いものは違法とする」だのといった与野党の規制案は、その場しのぎの対症療法だというのがよくわかる。とりあえずこの問題については、政治はまったくやる気が無い証拠だ。
なぜか。それは、問題の本質が正社員の既得権にあり、そこにメスを入れようとすれば、それこそ血を流す覚悟が必要となるからだ。雇用問題に関心の薄い自民はもちろん、連合をバックに持つ民主にも、抜本的な改革は期待できそうにない。「若造ならバカだから我慢してくれるだろう」と、足元見られているわけだ。
バカ扱いされたわけだから、もっと若者は怒るべきだ。地元議員の集会でもブログでもいいから突撃して「おいお前ちゃんとこっち見ろよ」と説教すべきだ。気の長い話だが、とりあえずバカじゃない若者もいるらしいと気づかせない限り、「ツケはとりあえず若者へ」という流れは変わらない。
90年代、なぜ就職氷河期が発生したのか。その教訓を無駄にすべきではないだろう。