さまざまな国籍と経歴をもつ者たちが集まったベンチャー企業「セレゴ・ジャパン」。そんな会社の性格を象徴するのがブライアン・ツァイ(44)だ。彼のプロフィールはモザイクのようにさまざまな要素で構成されている。
父は台湾人、母は日本人。自分の国籍はカナダ
ブライアンは台湾人の父と日本人の母の間に生まれ、国籍はカナダというユニークなバックグラウンドをもつ。母国語は英語。日本語については、大学卒業後に来日するまで満足に話すことができなかった。
「僕は非常に悪い子で、母親に対して『英語じゃないとわからないぞ!』という態度をとって、日本語でしゃべるのを無視していた。そのせいで日本で働くことになったときは言葉が全然通じなくて、涙が出るくらい苦労した。すごく後悔したよ」
アメリカ西海岸の名門・カリフォルニア工科大に進み、化学を学んだ。卒業後は石油会社に入りたかったが、当時は石油業界の景気が悪く就職口が見つからなかった。やむをえず、父親のつてをたどって紹介してもらったのは、日本を代表する商社・三菱商事だった。
三菱商事では、パソコンなどの電子機器に使う化学製品の営業を担当した。主に香港やシンガポール、アメリカなどの英語圏をまかされ、世界中を飛行機で飛び回る生活を送った。20代半ばの仕事としては面白かったが、物足りなさも感じていた。
「商事では、成功するために10年、20年という長いスパンで考えないといけない。若いうちは1年も長いという感じなので、もっと短いスパンでキャリアアップできる仕事がいいなと思った。それから日本の伝統的な会社なので、若い社員に大きな責任を与えないような組織だった。今は商事もだいぶ変わってきているみたいだけど、20年前は外資系の会社に比べると、つまらない仕事しか与えてもらえなかった」
「自分の意見がないヤツは生き残っていけない」
三菱商事に入って6年。将来について悩んでいるブライアンに声をかけたのが、後にセレゴの社長となるエリック・ヤング(43)だった。当時、エリックは投資銀行のバンカーズ・トラストの東京支店でトレーダーをしていた。
共通の知人を介して六本木のハンバーガーショップで出会った二人は、いずれも大学で化学を専攻していたということで意気投合。エリックが「バンカーズ・トラストに来れば、もっと自由に大きな仕事ができるぞ」と、ブライアンを誘ったのだ。
エリックの誘いにのって外資系の金融機関に転じたブライアンは、「バンカーズ・トラストは自分にぴったりの会社だった」と語る。若い社員でも能力さえ認められれば、どんどん仕事をまかせてもらえた。社内のカルチャーも日本の伝統的企業とは異なり、社長と若手社員が自由に議論できる空気があった。
ブライアンは金融界で7年ほど働いたのち、エリックがセレゴを興すと、創業メンバーとして加わった。年功序列ではなく実力本位で評価され、自由に意見が言えるバンカーズ・トラストの社風は、いまのセレゴにも受け継がれている。
「能力がある若手がいればどんどん責任を与えて、『自分でやりなさい、自分で決めなさい』と指示するようにしている。それから『自分が何を考えているかはっきり言いなさい』と伝えている。だから、意見のないヤツはここでは生き残っていけない」
プログラマーはみんな「俺は賢い」と思い込んでいる
趣味は料理と自転車。2007年には房総半島を駆け抜ける「ツール・ド・ちば」にも参加した
セレゴでのポジションは最高執行責任者(COO)。商社と金融界で働いた経験をもとにマーケティングやファイナンスの総括を担当するとともに、学校で学んだ数学的知識を生かして、自らプログラミングも行う。
ほぼすべての実務に関わるオールラウンドプレイヤーだが、なかでも技術者集団であるセレゴの開発チームのまとめ役として、大きな役割を担っている。個性派も多いプログラマーを統率するコツはあるのか。ブライアンはこう話す。
「なによりもプログラマーがどこで苦労するのか、どこでチャレンジを感じるのか、どこが面白いと思うかということを分かってあげないといけない。そのためにはプログラマーとしての経験も必要。プログラマーはみんな『俺は賢い』と思い込んでいるから、技術があまり強くない人がリーダーだったりすると尊敬してもらえない」
また「プログラマーは猫みたいなもの」というのが、ブライアンの持論だ。ご主人様の言うことを素直に聞く犬とは違って、自分の価値観や気分を重視する生き物というわけだ。
「プログラマーに『こうしなさい』『ああしなさい』とあまり強く言うと、みんな嫌がってしまう。ある程度、自由を与えながら、『よしよしよし……』と機嫌を損ねないようにしていかなければいけないんだよね」