いよいよ、連載コラム「シュガー社員がやってきた!」も、今回で最後となってしまいました。様々なご意見をいただき、本当にありがとうございました。コラムを書き始めてから、ずっと思っていたこと。それは、最後のコラムは「自分はシュガー社員かもしれない」と思っている方へのメッセージにしよう、ということでした。
3年で離婚。幼い子を抱えて、転職を繰り返した
シュガー社員かもしれないみなさんに、まず、私の衝撃(?)の過去からお話しましょう。
さかのぼること遥か昔・・・私は高校3年の夏休み、大学進学への意義が見出せず、進学コースからいきなり就職コースへ変更して、担任の先生をあわてさせました。
当然、就職先はどこも残っていなかったので、高校卒業後はアルバイトで生計を立てていましたが、半年後に運よく外資系の化粧品会社に採用となり、遅ればせながら社会人生活をスタートさせることができたのです。
ところが、最初のつまづきの予兆でもある「できちゃった婚」をしてしまい、4年勤務した会社を子育てのために退職してしまいました。とても良い会社でもっと長く働きたかったのですが、子育てしながら働く環境は、当時まだ整っていませんでした。
若いママと言われながら、実は家庭は生活苦。結局、結婚生活は3年で破綻。養育費もすぐに滞り、乳飲み子を抱えて就職先を探したのですが、勤務時間が託児所の時間帯とあわず、やっとみつけた企業は今でいう「ブラック会社」でした。
じくじくした陰湿な企業体質に嫌気がさし、2年ほどで転職。次に勤務した会社では営業を担当しましたが、売り上げが上位になると同僚からの嫌がらせが激しくなり、耐え切れず退職。次の転職先も、直属の上司と衝突して退職。気がつけば30歳を超えていました。
「大きくなる子どものことを考えて、安定した仕事をしなければ」と焦りがつのります。しかし、自分自身を冷静に振り返ってみると「誇るべきキャリア」が何もないのです。そのことに気付き、愕然としました。
かつては私も「シュガー社員」だった
若さも愛嬌も年齢と共に失われ、自分に残っているのは「口ばっかり達者で生意気な女だ」という評価だけ。私は私で「誰も助けてくれない。自分はこんな生き方をしたかったわけじゃない・・・」と夜も眠れず、挫折感いっぱいの日々を送っていました。
そんな矢先、あまりにも悲壮感漂う私を見た知人から「社会保険労務士という資格が人気あるみたいだよ」と教わり、その時自分の中で何かが弾けたのです。
「この資格をとれば、違う人生が歩けるかもしれない!」
単純な動機ですが、思い立ったら即行動に移す私は、アルバイトをしながら必死に勉強し、試験に一発合格することができました。勉強を始めてから8カ月目のできごとでした。全ては「今の生活から抜け出したい」、それだけでした。合格後さっそく開業し、今までの不幸を全て吹き飛ばして現在に至っています。
今振り返ってみれば、離婚してから社会保険労務士として開業するまでの10年間、何もかもうまくいかなかったのは、私にも「シュガー社員」の素質があったからだと思います。書籍や連載コラムで書いてきたシュガー社員は、現実の若者たちの姿であるのと同時に、かつての私の姿でもありました。
「自分がこうなったのは○○が悪い」
「自分はこんなに一生懸命なのに誰も評価してくれない」
そんな不満の塊で仕事に向かっていて、いい成果が出せるわけがありません。上司や同僚への思いやりも欠けていました。「自分が一番不幸で、すべて周りが悪い」と考えていたことが、周りと衝突する原因だったのだと思います。
すべての問題は自分に起因している
今でも私の中には、かつての挫折感とともに「あの頃の自分に戻りたくない」と思う気持ちが強く残っています。そして、その気持ちが、自分の中のシュガー社員の要素を封印し、あるべき社会人の姿で仕事に取り組む原動力になっています。
もし、いま「会社が悪い」「上司が悪い」「同僚が悪い」「世間が悪い」と周囲に不満をまき散らしながらも、何となく不安に感じている人がいたら、いちど甘えを捨てて「すべての問題は自分に起因している」という言葉を頭に浮かべて下さい。社会に出てから、いえ、もっと前から、自分の人生の決定権は自分にあるのです。
今の会社を選んだのは自分です。「この会社にしか入れなかった」という人も、最後は自分で決定しているわけです。上司とうまくいかないのは、上司にも問題があるでしょうが、自分の問題でもあるはずです。自分を客観的に見るのは勇気がいりますが、それで見えてくるものもあります。変わりたくても、年齢が上がれば上がるほど変われなくなります。
どうか「若い」と言われているうちに、シュガー社員から脱皮し、志を高くして「あるべき社会人の姿」を目指して下さい。あきらめずに自分を信じて下さい。挫折感が強ければ強いほど、それをバネにしてください。あなたなら、きっとできるはずです。
田北百樹子