前々回、学歴は入り口だけ、その後はキャリアが重要だと書いた。重要な話なので、もう少し踏み込んで説明したい。
日本企業の中には、今でも終身雇用前提の人材育成を行っている企業が少なくない。「もう終身雇用の時代じゃない」ということは理解していても、社内の人事制度が追いついていないわけだ。
結果、社内でつぶしの効く人材であっても、必ずしも社会でつぶしが効くとは限らないケースがある。代表例としてはローテーションによるゼネラリスト育成があげられる。社内業務に明るく、空いたポストにすんなり納まれるトコロテンのような人材は作れるが、逆に専門性は低いためなかなか転職しづらいのだ。
1~2年で移動を繰り返すキャリア官僚はまさにこれだ。彼らは霞ヶ関の中では"殿様"として扱われるが、個々の業務の専門性ではノンキャリアに遠く及ばないという現実がある(ノンキャリはそこまで頻繁には異動しないため)。そのために、35歳を過ぎると組織にしがみつくしかなくなるわけだ。
彼らがあらゆる制度改革に反対するのは、殿様の権威を失うことへの恐怖が根幹にあるためだ。同様に、直接関連の無い部署への異動を繰り返すような企業では、うっかりすると逃げ場を失ってしまうリスクもある。
東大卒サラリーマン「2つの誤算」
筆者の知人に、まさにそういうキャリアをたどった人間がいる。彼は東大を出て大手生保に就職し、優秀なサラリーマンとして10年働いた。その間、辞令どおりに社内SEから営業、事業企画まで幅広く経験もしてきた。
彼の誤算は二つあった。まず、10年たってみて、耐えられないほど仕事がつまらないという現実に気づいたこと。そして二つ目は、いざ転職しようとした際、自らのキャリアが、実に微妙なものになっていたことだ。考えてみれば明らかだが、企業もわざわざお金出して中途採用する以上、武芸百般な人よりも一芸に秀でた人を雇うに決まっている。
ということで、何がしかの芸を身につけたいのであれば、自分で20代のうちから投資しておく必要がある。資格や語学も悪くないが、もっとも効果的なのは、一定の専門性を身につけること。もちろん視野の狭い専門バカになってはいけないが、なんの脈絡も無いローテーションを繰り返すのはもっとまずい。
企業によってはそのためのツールもちゃんとある。社内公募やFA制度がそれで、これらは皆、従業員が自己のキャリアをデザインするためのツールだ。
ちなみに、上述の彼は仕事はボチボチ、早めに切り上げてアフター5に生きる覚悟を決めたそうだ。「諦める」というのも、一つのキャリアである。
城 繁幸