「っちわー! 宅急便でーす」
朝一番でセレンのオフィスに大きなダンボールが届いた。送り主は宮崎県都城の農園主、小林秀一(しゅういち)さん。これから旬の里芋を食べてほしいと送ってくれたのだ。
農業一筋30年、宮崎の小林秀一さん
一見、豪快そうに見える小林秀一さん。根は繊細なのだ
ずっしりと重い箱を開けると、中からゴロゴロと掘り立ての里芋とサツマイモが顔を出した。それと同時に、土のいい香りが周りにたちこめる。里芋を見ていると、秀一さんが
「どうだ! 美味しそうだろっ。見た目だけでなく本当に美味しいから、とにかく食べてみろ!」
と笑っているように見えた。
秀一さんと初めて会ったのは今年の5月。現セレン社長の三輪晋に会うために宮崎を訪問したときだ。三輪のすすめる「土作り」を大規模農園で実践している農園主ということで、秀一さんを始め数名の農家の方にお話を伺った。
白髪であごひげ姿の秀一さん。はじめは少し怖い感じだったが、笑うとチャーミングでやさしい人柄だとわかる。
農業一筋30年。色んな農法を勉強した。そして三輪と出会って本当に納得する結果がでるようになった。今では30ヘクタールの農園を従業員10人で営んでいるが、農家では珍しい完全日曜休暇制を取り入るなど、新しい農業のあり方を模索している。
「美味しすぎて不幸になる」ってどういうこと?
秀一さんと出会ったときに聞いた、忘れられない言葉がある。
宮崎にいけば、青空のもとにこんな畑が広がっている
「私たちの作った"元気野菜"を知ってしまった(食べた)ことは、ある意味不幸かもしれない。だって、こんなに美味しい元気な野菜、東京に戻ってもどこでもそう簡単手に入るものじゃないから」
そう豪語するほど、秀一さんの作る「元気野菜」とスーパーで売っている普通の野菜は、まったく違う味がするのだというのだ。
「自分の子供に食べさせてみれば、すぐわかる。子供は正直だから、美味しいものとまずいものははっきり言う」
特に、普通は子供に嫌われる人参とピーマンを食べさせてみると、その違いがわかるという。
「人参とピーマンが嫌いな子供が多いでしょ? あれは仕方ない。一番『硝酸態窒素』がたまりやすい野菜だからね。上手に作らないと、ただ苦い、えぐみのある野菜になってしまう」
でも、秀一さんの「元気野菜」は、ピーマンだろうが人参だろうが、生で食べても甘みがあってうまいのだという。それは、葉っぱを元気にすることで、野菜が根から吸収した「硝酸態窒素」を「アミノ酸」に変えているからだ。アミノ酸は旨味のもとだから、子供に食べさせればすぐわかるというのだ。
野菜嫌いでも食べずにいられない「元気野菜」
秀一さんを始めとする宮崎の農家の人たちは、三輪と一緒に「元気野菜」を追求してきた
その日は、人参やピーマンの代わりに、秀一さんたち宮崎の農家の方が持ってきてくれたインゲンやズッキーニを食べてみた。
驚いたのは、野菜嫌いで有名なソフィア副社長の廣田拓也が「甘くて美味しい!」とまるでお菓子をむさぼる子供のように野菜を食べていたこと。まさか!と半信半疑の私も食べてみる。
一口かじって、びっくり。口の中で野菜のいい香りがふぁ~と広がった。確かに今まで食べたことのあるどの野菜よりも、旨みがあってしっかりと野菜の味がする。でも、決して苦くない。ただそのときは、宮崎にわざわざ来ていて気持ちが高揚しているから美味しく感じたんじゃないか、とまだ疑っていた。
しかし、東京に帰ってから何度か野菜を送ってもらっても、毎回「やっぱり違う」のだった。見た目から「私、元気です」と野菜が言っているようだった。
この前、送ってもらったばかりの里芋は、豚肉とこんにゃく、人参、ごぼうと一緒に味噌汁に入れて食べた。ひとりで何杯もお代わりしてしまうくらい美味しい。理屈じゃなく、やっぱり「美味しい」のだ。
「作柄は人柄」なのだ
秀一さんが作った人参には、秀一さんの「人柄」があらわれている
誰がどんな方法で作ったって、どれでも野菜は同じでしょう? そんな安直な考えでいた私。たしかに産地や価格は気にしても、誰がどんな方法で作ったかなんてスーパーでは知ることさえできない。
でも、こうして秀一さんや農家の方々と出会って本当にびっくりすることがある。「作柄は人柄」なのだ。
誠実な人が作ったぶどうは誠実な味がする。まじめな人が作ったチンゲン菜はまじめな味がする。そして、秀一さんが作った野菜は、秀一さんらしい堂々とした、それでいて繊細な味がする。
まさか!と思うでしょうが、本当なのだ。それは科学的には証明できないかもしれないけれど、きっと野菜を通じて想いが伝播しているのにちがいないと、私は勝手に解釈している。
世の中、目に見えるものだけが全てではない。秀一さんたちに出会ってそう素直に思えるようになった。
セレン社長秘書 大倉野あやか
■畑にかよう社長秘書の日記
おいしい野菜のパワーで日本人を元気にしよう! そんなミッションをかかげるベンチャー企業が2008年10月、誕生した。人事コンサル会社のプランナーから一転して農業支援事業にたずさわることになった社長秘書が、新会社の奮闘ぶりを描く。