「私はOL(=サラリーマン)に向かない」。そうはっきりと自覚したのは、26歳のときだ。すでに一度転職を経験し、2番目に勤めた会社だった。
会社にいると「自分の可能性」が終わってしまう
初めて就職した会社は一部上場企業のグループ会社で、仕事環境も待遇もとても良かったが、ソコにそのまま居ると、自分の可能性が終わってしまうと感じられた。そこで、ステップアップを目指して転職。しかし2つ目の会社でも、どんなに頑張っても女性に与えられる仕事は、男性のアシスタントの域を出るものではなかった……。
そもそも私が就職した理由は、とにかく早く、親から経済的に自立したかったからだ。収入を得るには、会社へ入ることがごくごく当たり前のことで、迷うことはなかった。しかし、自分は何をしたいのか、自分に何ができるのかについては、課題のままだったので、就職してから自分探しを始めてしまった。
20代の私は、自分が一生懸命に取り組めるもの、そして、やりがいを感じられる仕事を探し求めていた。しかし、私が就職した1980年代、女性は25歳までに結婚して「寿退社」することが普通で、就職は結婚までの腰かけと言われていた。そのころは、女性が男性と同じように責任ある仕事を任せてもらうことは難しかった。
そこで26歳のとき、「会社員をやめて自分の仕事を持とう!」と決心し、上司にも伝えたのだった。
会社という「タテ社会」に馴染めなかった
だが、「もう会社員にはならない」と決めたのは、仕事内容だけの理由ではない。会社という組織そのものに、あまり馴染めなかった。
会社はタテ社会の縮図で、基本的に上司の命令には「はい。わかりました」と従うのがルール。これが、私にはけっこうなストレスになった。一言でいうと、人に命令されるのが嫌いなタイプなのだ。当時の私はまだまだ社会人としては未熟者で、エッジが立っていたこともあるが、この持って生まれた性格は、自分でも持て余す程で、その後の人生を大きく左右することになった。
私が会社という組織に向かなかった理由をまとめると、次の3つになる。
(1)上司の言うことでも、納得できないと従えない
(2)自分の意見はストレートに主張する
(3)自分の裁量で仕事がしたい
任された仕事は常に全力でやったつもりだが、会社側からすると、扱いにくい社員だったことだろう。それは、後に独立して、仕事をお願いする逆の立場になってからよ~く分かった。
父も祖父もサラリーマンじゃなかった
私のこんな「組織に向かない性格」は、親から引き継いだ遺伝子のいたずらのように思う。
私の父は技術者で、30代前半で独立して町工場を経営していた。その父親、つまり私の祖父は、腕一本で稼ぐ床屋さんだ。親戚を見ても、サラリーマンが少ない。サラリーマンの子でなかった分、会社への依存度も低かったのだろう。自分が会社員に向かないと分かっても、落胆することはなかった。
むしろ、自分がやる事に対して、自分自身が全ての決定権を持っている。そんな「自分で決められる自由」こそが、私にとっては、何ものにも代えがたいものだった。
私は5年前から、フリーランスで仕事をしている人に向けてメルマガを発行している。そこで、「親の職業は?」というアンケートを実施したことがある。結果は、6割超の方が「自営、経営者、フリーランス」だった。やはり、「自営の家系」「サラリーマンの家系」というのがあるのかもしれない。
塚田 祐子
本コラムは10回の連載の予定です。会社を辞めたいけれど…、独立したいけれど…、と考えている皆さんに、少しでもヒントになるお話ができたらと思っています。質問メール、相談メール、大歓迎です!