最先端技術を取り入れ、日本のアニソン・J-POP界をけん引する 音楽プロデューサー 佐藤純之介

プロデューサーになるためアニソンの世界へ

   ――その頃はどんな楽曲を?

   基本的にJ-POP系の楽曲を制作していました。ただ、のちの上司になるランティス(現・バンダイナムコアーツ)の副社長と仕事で一緒になることがあって。そのとき、普通のエンジニアとは違う、プロデューサーっぽい視点でのミックスダウン......アレンジャーが仕上げた楽曲にさらにアレンジを加えるようなミックスをしているぼくを見た副社長が「本当はプロデューサーになりたんだろ?」と言い出したので「よく見抜きましたね」って(笑)。

   ――もともとプロデューサー志望だったんですか?

   現場で一番エラくなりたかったんです。「サウンド&レコーディングマガジン」(リットーミュージック)に「スタジオで一番エラいのはエンジニア」って書いてあったから、Pro Toolsを買って、制作会社の社長と大ゲンカをしたんですけど、いざ働いてみたら「あれ? プロデューサーのほうがエラい!」となって(笑)。そんなときにそのランティスの副社長から「ウチでディレクターの腕を磨いて、いずれプロデューサーになりなさい」と言われたので、2006年にアニソンへの道に進むことにしたんです。

   ――当時、アニメって観ていました?

   中学時代、アニメ『シティ・ハンター』での、エンディングテーマTM Network「Get Wild」の使い方がすごくカッコよかった印象はあるんですけど、社会人になってからはアニメ......というか、テレビ自体ほとんど観てなかったですね。朝から晩までスタジオにいる毎日だったので。ただ、制作を手伝った田村ゆかりさんのシングル「恋せよ女の子」(2005年)がオリコンで上位に入ったのを見ていたので「アニソン、スゴいな」という印象はありました。それと、ランティスに移る前後に副社長にeufoniusの「Idea」(2005年。アニメ『ノエイン もうひとりの君へ』オープニング曲)を聴かせてもらったら、これがまあ複雑ながらも美しい和声を駆使した楽曲で。これにも驚いたのを覚えています。

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   ――そんなキャリアだけに、ランティス時代の佐藤さんはレコード会社勤務ながらスタジオワークも熟知している珍しいプロデューサーでしたよね。

   確かにそんな社員プロデューサーはあまりいなかったですね。楽曲のアイデアをアーティストや作家と詰めたり、アレンジの組み立て方を提案したりする、ともするとクリエイター側にカテゴライズされるタイプは。

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