「日常は音楽と共に」ショパンの天才ぶり示す「練習曲 Op.10」 20代前半で「時代を変えた名曲」作る

難しいのに美しい

   練習曲集においても例外ではありませんでした。指の技術の訓練という実用性もちゃんと確保しながら、彼はどんな作曲家も思いつかなかった「ピアノ芸術としての独自性」を各曲に盛り込み、練習曲の金字塔を生み出してしまったのです。あまりにも芸術的すぎるために、練習曲集、と銘打っていても、プロのピアニストが演奏会に頻繁にあげる曲となっていますし、これを入試やコンクールで弾かねばならない学生さんにとっては、「単に指が回ればよいのではない」芸術的表現が求められるのです。これは恐るべきことです。「難しいだけの曲」ではなく、「難しいのに美しい」のです。

   そして、作品10の12曲に関しては、驚くべきことが2つ。ショパンは、ほとんど先生に師事していないのです。ポーランド時代に、無名のピアニストと音楽院の院長の二人に師事した事実はありますが、国を後にしてからは、ほぼ先生らしい先生を持っていません。彼は自分の音楽のみを信じて作曲を続けたのです。あえて、あるとすれば、この二人がショパンに課題として与えたバッハとモーツァルト。ショパンが生涯尊敬した二人の天才の作品だけは、成人以後のショパンが手本としたところでした。

   しかし、他の作曲家の「練習曲」とショパンの作品が圧倒的に違うところは、技術の練習のために「歌」を犠牲にしていないところなのです。チェルニー作品などに見られる「技術練習のための無味乾燥な反復」は全く見られず、ショパンの練習曲は、いつも歌が溢れています。「黒鍵のエチュード」は「黒鍵縛り」をショパンが自らに課したからでしょうか、すこし似た音形が連続しますが、そのためにショパン自身は少し気に入っていなかったらしく、クララ・シューマンが演奏会で取り上げる、と聞いたときに「なんでわざわざあんなつまらない曲を!」と感想を記した手紙が残っています。

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