「日常は音楽と共に」ショパンの天才ぶり示す「練習曲 Op.10」 20代前半で「時代を変えた名曲」作る
新しい楽器「ピアノ」で練習曲が必須に
19世紀前半は、ちょうどピアノの勃興期で、現代では「ピアノフォルテ」と呼ばれるようになったまだまだ音も小さく、表現の幅にも限りが有る過渡期の楽器から、金属加工技術などの発達とともに、大ホールでも演奏可能な現代の「ピアノ」が生み出される時代だったのです。
そんな次々とニューモデルが発表される「ピアノ」の音楽で求められたのは、「練習曲」というジャンルでした。新しい楽器ですし、両手で別の動きをする結構演奏が難しい楽器ですから、トレーニングなしではなかなか弾けません。そして、オーディオがなかった時代ですから、家庭用の楽器としても大人気だったのです。革命で力をつけた市民層が、チェンバロを宮殿において楽しんだ旧貴族階級のマネをする、という意味合いもあったでしょう。現代につながる「ピアノのお稽古」は、この時代から始まったのです。また、そこには、他の楽器だと良家の子女には練習することにはばかりがあったのですが、演奏中は観客にたいし横を向いていて、長いスカートでも弾きやすい、つまり「お嬢様にとって上品な楽器である」という事情もありました。演奏人口が増え、レッスン人口が増え、学ぶ方にとっても、教える方にとっても、そして、「ピアノを売る」勢力にとっても「練習曲」は必須の曲ジャンルでした。この時代は、「デモ演奏」をして、ピアノを売っていたのです。
現代でもピアノ初学者を悩ましている「チェルニーの練習曲集」や、モシュコフスキーやモシュレスなどの現代でも使われている練習曲たちが生み出されました。
生涯にわたってほとんどピアノ曲しか作曲しなかったショパンも当然のごとく「練習曲集」に手を染めますが、「ワルツ」や「ノクターン」でもそうだったように、ショパンは先人たちが考案したそれらの曲を、単なる「三拍子の軽快なダンスの曲」や、「夜想曲という名の物憂げなゆっくりな曲」という形式上の模倣だけをすることはなく、実に様々な創意工夫を持ち込み、人の心に訴える「内容の有る」名曲を生み出していったのです。