〔 音とデザイン 第2回 〕
小説の構成は音楽的コンセプター坂井直樹さん×小説家平野啓一郎さん
音とデザインについて、一流のクリエーターたちはどのようにとらえているか――。日本のプロダクトデザインをリードしてきたコンセプターの坂井直樹さんが、クリエーターとの対話を通じて、その問いに迫る対談企画。第2回は、デビュー作の『日蝕』で芥川賞を受賞し、ベストセラーとなった恋愛小説『マチネの終わりに』が福山雅治さん主演で映画化され話題を呼んだ、小説家の平野啓一郎さんです。創作における思考、音楽への興味関心、これからの活動をうかがいます。
小説を書くにはデザイン思考が必要
坂井直樹さん(以下、坂井):平野さんとは10年くらい前――2011年ごろだったと思うけれど、僕が新しいブランドを立ち上げたタイミングで開催した展覧会で、インダストリアルデザイナーの山中俊治さんも交えた3人のトークセッションを行い、そこでお会いしたのが最初だったかな。それ以来、お付き合いが続いていますね。
平野啓一郎さん(以下、平野):そうでしたね。ちょうど僕は『かたちだけの愛』という小説で、義足をつくるプロダクトデザイナーを主人公に据えた話を書いていた時期で。そのころ、プロダクトデザインはとくに関心を持っていたんです。
坂井:平野さんの話ですごくおもしろかったのは、建築、彫刻、絵画といったアートは見れば数分から数秒で、その価値がわかるけれど、小説は読んで理解してよさがわかるまでには1日や2日を要する、と。そんなふうにマーケターのように俯瞰した視点で小説をとらえていて、しかもそれを作者本人が話していて意外に感じました。
平野:僕はアートとかデザインが好きだからなのかもしれませんが、自分が書く小説も中身ばかり考えるだけでなく、わりと外側からとらえることも意識しています。もっと言うと、小説の執筆も、そのプロセスの一部として、デザイン的な思考――つまり、順序だてて設計していくことが必要だと考えています。
坂井:それは、噛み砕いて説明すると、どういうことですか?
平野:小説は、物凄く複雑な要素から成り立っていますので、執筆は、たくさんの部品を組み立てていく作業に似ていると思っています。全体のストーリーを構成する各シーンのエピソードに加え、現代社会を反映したテーマを盛り込んだり、多義的な解釈ができるような構造を考えたりしています。小説に必要なこうした"部品"を1冊の中に適切に配置していくには、きちんとした設計――小説をデザインすることが欠かせません。そういうことを考えずに、たくさんの情報を詰め込もうとすれば、話がまとまらなくなってしまうからです。僕の小説は情報量が多いですけど、それをスムーズに読ませる、というのは、かなり技術的な工夫を求められます。
坂井:平野さんが小説を書くうえでのスタイルは、まるでデザイナーやマーケターに似ていますね。
平野:だから、だいたいクライマックスから考えますね。クライマックスの場面がその小説のテーマを余計な説明もなく、象徴的に表す場面として思い浮かんだら、あとは時間的にさかのぼっていく――どういった人たち(登場人物)がいて、なぜその出来事が起きたのかをたどって書き上げていくんです。この時、どこまでさかのぼるかで、小説の長さが決まります。音楽的なイメージもありますよ。いまの話も、曲で言ったら、サビから考えるみたいなことですし。
坂井:おもしろいなあ。すごくロジカルでわかりやすい。小説家は表現者という意味ではアーティストだと思うけれど、いま説明していただいたみたいに作品の完成という目的に向かってつくるという考え方はデザイナーに近いかもしれませんね。平野さんの話を聞くと、自分でもやれそうな気がするけど、まあ無理だろうねえ(笑)。
平野:音楽には高音域や低音域があってメロディー、ハーモニーなどの要素で構成されていますが、小説もストーリーに起伏をつけて、主軸となるストーリーを生きる登場人物をつくり、伴奏的な場面を入れていく。小説の構成は音楽的だと僕は思っているんですけど。
坂井:平野さんの小説は「私とは何か」「いかに生きるか」といったテーマを軸に、おそらくはその時々で強く関心を持っている、現代社会の問題を織り交ぜていく。どれもおもしろい切り口だけれど、アイデアは日頃から考え続けているんですか?
坂井さんお気に入りの平野さんの一冊
平野:アイデア自体はふだんの生活――世界情勢を追ったり、人が書いたものを読んだりしている中で思い浮かぶものです。ただ、そのアイデアが"もの"になるかどうかは、別問題。いくつかのテーマを頭の中で転がしていると、ものになりそうなものは雪だるま式に、ほかのアイデアともくっついて大きくなっていく。でも、ダメなものはだんだん摩耗して、消えてしまうんです。
坂井:テーマは多数あって、頭の中で転がして絞り込んでいくんですね。
平野:読者にとっても、1冊の小説を読むのに、数時間から数日間の時間がかかりますから、それに耐えられる作品を書きたいなと思っています。いまは、隙間時間ならSNSとかゲーム、休日などのまとまった時間があれば映画館とか美術館に行くとか......仕事を離れた余暇の時間の楽しみ方に選択肢が多いですよね。ようするに、あらゆる娯楽が小説のライバルだから、その競争に勝てるような作品を書かなければ、本を読んでもらえません(笑)。そんなことも意識して書いています。
小説の未来――電子書籍は? オーディオブックは?
坂井:いまの話を聞くと、マーケターの視点でも自分の小説をとらえているんだと思います。それに関連して、ちょっと話題にしたいんだけれど。僕は最近、中国でビジネスを進めようとしています。驚くのはSNSの影響力。中国では口コミが重視されていて、カギを握るのがSNSで人気のキーオピニオンリーダー(KOL)という存在ですが、彼らは一種のメディアです。影響力を持つ彼らに対して企業が働きかけ、彼らをフォローしているファンに向けたダイレクトなチャネル(D to C)を活用しています。
平野:たしかに、中国のSNSの影響力は驚くばかりです。僕の小説も中国で何冊か翻訳版が出版されていて、昨年3月には『マチネの終わりに』も発売しました。そんな縁もあって昨年8月、上海のブックフェアに呼ばれたんです。その時に、蒋方舟(ショウ・ホウシュウ)さんという中国の若い女性作家が『マチネの終わりに』を気に入ってくれて、対談をしました。
坂井:幅広く活躍されていますね。
平野:それで、彼女のウェイボーのフォロワーがなんと800万人を超えているんで、驚きましたね。日本でツイッターのフォロワー数が最も多い人でも、700万人を超えるくらいだと思います。もちろん彼女が中国で最多のフォロワー数を抱えているわけではなく、1000万人単位のフォロワーを抱える人がごろごろいる! だから、出版する時も新聞やテレビではなく、ネットを軸に広告予算を使うみたいです。
坂井:SNSの発達もそうだし、スマートフォンからインターネットにいつでも接続できる環境が整ったことで、社会は大きく変わってきました。本を読む手段も、電子書籍を選べるようになった。僕は自宅では紙の本を、外出先で時間ができた時は電子書籍から続きを読めるようにと、両方を購入する機会が増えました。小説の未来も変わっていくと思いますか?
平野:しばらくは同じ状況が続くのではないでしょうか。日本で電子本が出たてのころは映像をつけたり、音楽を流したりといった挑戦もありましたが、あまり成功しませんでした。というのは、人によって読むスピードが違うし、音楽の尺の長さと小説の中の時間の流れが違うから、小説に音楽をあわせることがすごく難しいんです。
坂井:オーディオブックはどうですか? 平野さんの作品も『マチネの終わりに』と『ある男』はオーディオブック版も出ている。ただ、朗読する人の技量や、その声自体がユーザーに合う、合わないということが起きるかもしれません。
平野:おっしゃる通りです。やっぱり文字の本で読むと、想像力が広がりますから。それとオーディオブックは、1人の人がずっと読むか、配役をあててラジオドラマのようにするかで、また違った印象になります。『マチネの終わりに』ではそれぞれの登場人物がいて朗読劇的にしました。『ある男』も登場人物ごとにキャストが変わりますが、どちらかといえば全編を通した「語り手」の存在感が際立っています。僕も実はこっそりゲスト参加しているのですが(笑)。どちらの手法がよいかまだ揺れていて、発展途上だと感じます。でも、本ってもともと、「ながら読み」をしたいというニーズがあるじゃないですか。だから、作業しながら聞いていられるオーディオブックは将来性があるかもしれません。
audiobook.jpより
坂井:ラジオもそうだけれど、移動中に聞きたい人もいるだろうし。ハンズフリーで聴いていられるのはやっぱり便利ですね。
なぜ日本のヒットチャートにヒップホップが少ないのか?
坂井:音についての話が出てきたところで、今度はぜひ「音楽」の話を聞きたいです。率直な質問になるけど、ふだんどんな環境で音楽を聴くんですか?
平野:ジャンルを問わずなんでも聴くほうですが、最近はストリーミングサービスを利用して聴くことが増えました。もともとはCD派だったんですよ。自宅ではCDプレーヤー、スピーカー、アンプをあわせて、だいたい100万くらいのシステムですかね。――これは余談ですが、オーディオシステムにこだわりたいと考えていた時期もあって。でも、自宅はまあ普通のマンションで、部屋もそこまでの広さはないから、たとえば1000万かけてもあまり効果的ではないなと、その線はあきらめたんです。
坂井さんおススメの「Just ear」を真剣な面持ちで試す平野さん
坂井:平野さんは音楽が好きだから、てっきり超お金をかけているんだと思っていました(笑)。オーディオマニアはそれこそお金に糸目をつけない人たちだから(笑)、上には上がいるとして、平野さんもまあまあのクラスにいることは間違いないですね。
平野:ところが、です。そのCDプレーヤー――イギリスのLINN CLASSIK(リンクラシック)というブランドで気に入っていたんですけど、ついに最後の時を迎えてしまった......。どうしようかなと思っていたら、いまはパソコンでもDAC コンバーターを通せば、スピーカーにつなげますよね。そうだ! と思って、ずっと眠らせたままになっていたデンマークのDALI(ダリ)というブランドのスピーカーにつないでみたら、ものすごくいい音なんですよ。それ以来、もっぱらストリーミングサービスばっかり。CDを聞く機会は激減しています。
坂井:ちなみに、いま気にかけている音楽ジャンルは?
平野:あるテレビ番組の話が関係して、長くなりそうですけどいいですか(笑)?
坂井:ぜひ聞かせてください!
平野:大分前の話ですが、坂井さんの事務所におうかがいした時に、Apple TVを教えてもらいまして――、あの時、いいなと思って僕も買ったんです(笑)。それからNetflixを今のテレビでよく見るようになったんですが、いますごくはまっているのは、『ヒップホップ・エボリューション』という番組です。ヒップホップの歴史――ニューヨーク・ブロンクスで生まれたことから始まり、どういった人たちが作り上げ、時代とともにどのように変遷し進化したか、ヒップホップのレジェンドたちによるインタビューとともに構成されているんです。シーズン4くらいまであって、これがものすごくよくできている。
坂井:良質なドキュメンタリーはやっぱりおもしろいからね。
平野:僕は『「カッコいい」とは何か』という新書でも、アメリカの「ヒップ」という概念についてジャズやロックを引き合いにして触れましたが、その時もヒップホップの日本での受容にちょっと興味を持ってたんです。というのも、それまで日本人はロックやジャズをかなりリアルタイムで吸収して、自分たちなりの音楽にしていったのに、1980年代以降のヒップホップの受容は、なぜか、あんまりうまくいかなかったのではないか。世界的にはヒットチャートのほとんどがヒップホップやR&Bが席捲しているのに、日本ではアイドル、あるいはロックバンドの楽曲ばかり。それはなぜか、と思っていたんです。
「カッコいい」とは何か (講談社現代新書)
坂井:この本で平野さんは、20世紀後半は「カッコいい」という価値観が席捲したことをわかりやすく整理してくれているので、ぜひ読みましょう(笑)。それはさておき、その時から、ヒップホップに関心を持ち直したんだ。
平野:元々、手当たり次第には聴いてたんですけど、とにかく広大な世界なので、全体像がよくわからなかったんですよね。それで番組を見始めたら、やめられなくなってしまって(笑)。見ながら思ったのは、ロックはもとをたどると、労働者階級育ちの若者たちが主体で発展していったから、心情的に日本人も理解できることが多かったと思うんです。ところが、ヒップホップは――Gang Starr(ギャング・スター)のラップがまさにそうだけど、歌の世界が日本と遠すぎて実感を持てなかったんじゃないか。あとは、日本語と英語との距離の問題がロック以上に大きかったというのもありますが。個人的には音楽としてファンクなどと連続性を感じるものが好きで、結局は2Pac(トゥーパック)とかJay-Z(ジェイ・Z)とかメジャーなものを聴いて、カッコいいなと思うんですけど。
いま世の中で何が起きているのか、何を問うべきか
坂井:そろそろ座談会を締めくくっていかなければならないのですが、最後に平野さんのこれからについて。平野さんは地道なペースで著作を重ねていく作家だと思うけれど、次の構想は絶えず考えているものなの? スランプってないですか?
平野:うーん。書くことがなくて困ることはないですね。最初に話したように、アイデアは常に転がしているので。どちらかといえば、いま何を書くべきか――それをどう選んでいくかはけっこう重要です。僕は1冊の小説を、準備して、書いて、出版するまでに、3年に1作くらいのペースがいいと思っています。で、3年に1作ということは、僕は今年で45歳だから......10作書こうとしたら30年かかる。75歳。仮にその辺までをキャリアだと逆算して考えると、あと10作しか書けない。それならば、思いついたものを何でも書くことはできないな、と。
坂井:そんなふうに考えているんですね。
平野:書くべきものを選ぶには、いま何が起きているのか、何を問うべきか――それを意識しています。自分として書きたいこともあるけれど、やはり世の中と無縁ではいられない。たとえば、『マチネの終わりに』は5年ほど前に新聞で連載していましたが、当時は僕も含めて「みんな疲れているな」と感じていて。そんな世の中のいまをとらえて、本を読んでいる間くらいは日常のわずらわしさから解放されるような、美しい愛と音楽の物語を書きたかったんです。
坂井:『マチネの終わりに』はいい小説ですよ。そして、平野さんがこれから考えていきたいテーマは?
平野:ひとつには、地球環境の問題です。環境負荷が大きい石炭火力発電を抑制しようという動きもあるけど、ほかにも欧米では個人が食肉消費量を減らしたり、飛行機に乗らなかったりという話も出てきていて。すると、個人の自由と公共性の範囲とが、これまでと違った形で話が組み変えられてしまうのではないか。きちんと考えなければいけないと思っています。それに関連するところでは、中国の信用格付けのシステムみたいなのがありますよね。個人の「信用度」が数値化されるこのシステムによって、現に、航空券の購入が禁止されたりとか、色んなインフラへのアクセスが制限されている人たちがいる。しかし、生活に支障が出たら、どうなるだろう? 不満がたまれば、爆発するでしょう。これも社会全体で一度考えて、整えていかなければいけない問題だと感じています。運転免許みたいに、どこかで累積がちゃらになる期間を設けるとか。
坂井:世界の動向にも常にアンテナを張っていますね。後世に残るような大作にも期待していますよ。
平野:現代はとにかく情報量が多く、データが蓄積されていくばかり。世界中で毎年、読み切れないほどの作品が出て、絶版にもならずに累積されています。そんな変化のスピードが速い時代にあって、僕の作品も100年、200年残ってこそとまでは思いませんが、やはり長く残って読み続けてもらえたら、うれしいです。
坂井:平野さんの話を聞いて、小説家の思考の一端が垣間見えました。小説の構成が音楽的だということや、デザイン的な考え方で小説を組み立てていくことは新鮮でした。デザインという言葉を使って小説について説明してくれたことが、すごくおもしろかった。今日は忙しい合間を縫って時間を作ってくださって、ありがとうございました。連載中の新聞小説『本心』も引き続き楽しみにしています。
平野さんのお気に入りガジェットを公開!
平野さんが愛用する「JBL GO2」
ポータブルBluetoothスピーカー「JBL GO2」。「旅先と風呂場でよく使っているのがこのポータブルスピーカーです。旅先ではノートパソコンを持参していますが、現地で音楽をちょっと聴きたいなという時に内蔵スピーカーではもの足りないので、このスピーカーにつないで楽しんでいます。コンパクトなのにいい音で、気に入っています。防水性能もあるから風呂場に持ち込んでも大丈夫。以前のモデル『JBL GO』から愛用していて、現在のモデルが出て買い替えたほど。あわせて5年近く使っています」(平野さん)
プロフィール
平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)
小説家。1975年愛知県に生まれ、幼少期は福岡県北九州市で過ごす。京都大学法学部卒業。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』で第120回芥川賞を受賞。近年、個人をさらに分けた「分人」という単位で自分をとらえる「分人主義」(新書『私とは何か~「個人」から「分人」へ』に詳しい)という思想を盛り込んだ作品群で話題を集める。2015年から2016年にかけて毎日新聞・noteで連載し、2019年に映画化された『マチネの終わりに』は現在累計58万部を超えるロングセラーに。美術、音楽への造詣も深く、日本経済新聞の「アートレビュー」欄を担当(2009年~2016年)するなど幅広いジャンルで活躍する。2014年、フランス芸術文化勲章シュヴァリエを受章。現在、最新小説『本心』を、北海道新聞・東京新聞・中日新聞・西日本新聞で連載中。
Twitter: hiranok
Web:https://k-hirano.com/
坂井直樹(さかい・なおき)
コンセプター。デザインコンサルティングカンパニー、Water Design代表取締役。1947年、京都府生まれ。1966年、京都市立芸術大学入学後に渡米し、サンフランシスコで「TattooT-shirt」を手掛けてヒット。帰国後の1973年、ウォータースタジオ社を立ち上げたほか、テキスタイルデザイナーとして活躍したのち、1987年、日産「Be-1」のプロデュースで注目を集める。その後も、日産「パオ」「ラシーン」、オリンパス「O-product」などのコンセプトデザインに関わってきた。auの社外デザインプロデューサーとしても手腕を発揮した。元慶應義塾大学 SFC 教授、元成蹊大学客員教授。
Twitter: naokix11
Web:Water Design https://water-design.jp/
Photo:平塚篤史
Text:鳥居裕介