「日常は音楽と共に」 バッハ作曲、マーラー編曲「管弦楽組曲」 超マイナーになってしまったわけ

大胆な再構成が「やりたい放題」と評価されず

    マーラーが、おそらく、自分が指揮する演奏会のために編曲した偉大なるバッハ作品、それが「管弦楽組曲」でした。しかし、その編曲方法は一風変わっていて、「第2番」と「第3番」から気に入った組曲を抜き出して順番を入れ替えたり、組曲を合体させたり、と大胆に再構成し、演奏に使う編成もバッハの頃では考えられない19世紀的なものに変えたのでした。

    バロック時代の「管弦楽」を想定していたバッハの原曲を、マーラー版では、近代のオーケストラ的な大きな編成で演奏することにした一方、19世紀にはもうすっかり廃れていた「通奏低音」というパートのために、チェンバロかピアノ、それにオルガンを加える、というものでした。通奏低音というのは、バロック音楽の時代、和音が簡単に出せる鍵盤楽器でハーモニーを奏で、旋律楽器である弦楽器の演奏の「和音による下支えをする」というもので、オーケストラ編成が完成した古典派後期以降はすっかり廃れた形態でした。それを、あえて復活させているのです。

    オリジナル作品をもって最高かつ至高のものとするクラシック音楽では、マーラーの編曲はかなり「やりたい放題」と捉えられました。なぜなら、一方で20世紀初頭の音楽環境・楽器性能を十分に生かしながら、一方では何故かバロックの残滓のような通奏低音も用いているからです。もちろん、マーラーはそれらの改変が演奏上十分に効果的だからということで、バッハの作品を「再解釈」したのですが、現在では、この「マーラー版」は時代がどっちつかず・・つまり現代的でも古典的でもない・・・ということもあり、あまり評価されてはいません。音や調を変えたりした「再解釈という名の編曲」ではなく、あくまで音はそのままで、編成や構成に手を加えた「マーラーという個性によるオリジナル解釈に基づいた形態変更」であったための、皮肉な結果と言えましょう。

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