タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」「井上陽水トリビュート」 巨大なスケールと奥深さと

50周年はまだ始まったばかり

    井上陽水は"ピーク"が一度ではない。

    70年代後半から80年代にかけては、他の歌手に提供した曲がチャートをにぎわせてゆく。

    田島貴男が歌う「クレイジーラブ」は山口百恵の最後のアルバムの中の曲。SIX LOUNGEが演奏する「Just Fit」は、沢田研二に書いた曲だ。オルケスタ・デ・ラ・ルスが日本のポップスとは思えないようなサルサのダンス曲に変貌させた「ダンスはうまく踊れない」は、後に妻になる石川セリに提供したものだ。

    その極めつけが、今年最も注目されたバンド、King Gnuが演奏する中森明菜の大ヒット曲「飾りじゃないのよ涙は」だろう。83年に安全地帯に提供した「ワインレッドの心」は、椎名林檎が大胆なスイングジャズに装いを変えた。それらを収録した84年のセルフカバーアルバム「9.5カラット」は、セルフカバーとして史上初のミリオンセラーとなった。二度目のピークである。

    更に、だ。

    70年代、繊細な神秘性がイメージとなっていた彼が、晴れやかな笑顔で笑っているジャケットが鮮烈だったのが90年のアルバム「ハンサムボーイ」だった。三度目のピークとも呼べるルバムに入っていたのが、ポップスもロックも超えた「唱歌」のようだった「少年時代」だ。
宇多田ヒカルが歌う「少年時代」はこのアルバムの白眉と言っていい。誰にでも思い当たるようなほのぼのとした郷愁感とは違う翳りある切なさは、彼女自身の曲とも陽水のオリジナルとも明らかに違う。

    今回、細野晴臣がリアレンジしている「Pi Po Pa」は「ハンサムボーイ」の一曲目だ。電話がダイヤルでなくなった時代の歌。80年代にテクノ系音楽を取り込んできた実験の到達点的作品。新しいものへの好奇心も陽水の50年を特徴づけている。

    世代も時代も超えてゆく。福山雅治が歌った「リバーサイドホテル」は、オリジナルから6年後にドラマ主題歌でヒットしている。

    ボカロへの曲提供で注目されるヨルシカによるアルバムの一曲目93年の「Make-Up Shadow」もその時代の曲だ。テレビで流れるCMに彼が登場するようになるとは70年代には考えられないことだった。

    大人になることというのは、世の中とは無関係に生きて行けないと知ることでもあるかもしれない。斉藤和義が歌う「カナリア」は、炭鉱夫がガス発生の危険を察知するために地下に連れて行ったのがカナリアだったことから生まれた。アルバムのしめくくりKREVAが歌う「最後のニュース」は、テレビのニュース番組の主題歌だった。

    アルバムが「傘がない」と、その返歌に思えた90年の「最後のニュース」の二曲で終わっているのは「少年老い易く学成り難し」のメッセージのようでもある。

    今年、忘れていけないものにアメリカ人の日本文学者、東大名誉教授、ロバート・キャンベルが書いた「井上陽水英訳詞集」(講談社刊)がある。彼が選んだ50曲を英訳した詩集には、その翻訳の過程や意図、陽水との対話も掲載されていた。

    言葉の意味やニュアンスの日本語と英語の違い、そして、伝統的な日本文化の中での位置づけ。陽水自身が驚くような解釈や分析は、「日本語の面白さ」の新しい発見に満ちていた。同時に、まだ語られるべきことの多さを示唆して余りあった。

    巨人・井上陽水。このトリビュートアルバムもそんな彼のスケールと奥深さを改めて感じさせるアルバムではないだろうか。

    50周年イヤーはまだ始まったばかりだ。

(タケ)

タケ×モリ プロフィール

タケは田家秀樹(たけ・ひでき)。音楽評論家、ノンフィクション作家。「ステージを観てないアーティストの評論はしない」を原則とし、40年以上、J-POPシーンを取材し続けている。69年、タウン誌のはしり「新宿プレイマップ」(新都心新宿PR委員会)創刊に参画。「セイ!ヤング」(文化放送)などの音楽番組、若者番組の放送作家、若者雑誌編集長を経て現職。著書に「読むJ-POP・1945~2004」(朝日文庫)などアーテイスト関連、音楽史など多数。「FM NACK5」「FM COCOLO」「TOKYO FM」などで音楽番組パーソナリテイ。放送作家としては「イムジン河2001」(NACK5)で民間放送連盟賞最優秀賞受賞、受賞作多数。ホームページはhttps://takehideki.jimdo.com/
モリは友人で同じくJ-POPに詳しい。


   出典元: タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」https://www.j-cast.com/trend/column/jpop/

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