「日常は音楽と共に」 モーツァルトの故郷が通称に 「ザルツブルク・シンフォニー」はイタリア風味
今日取り上げる曲は、W.A.モーツァルトの「ザルツブルク・シンフォニー」と呼ばれる曲たちです。シンフォニー(交響曲)という通称で呼ばれる曲ですが、交響曲ではありません。楽譜には「ディヴェルティメント」と書かれています。
ディヴェルティメント、というジャンルは、貴族や高位聖職者の宴会や食事の最中に演奏される場を盛り上げるための楽しみのための音楽の一つです。屋外で演奏されることの多い「セレナーデ」に対して、「ディヴェルティメント」は屋内で演奏されることが想定されていて、楽章の数も8楽章、などという長いセレナーデに比べれば、多くても6楽章程度と、古典派の時代に流行した「上流階級のための宮廷音楽」的なジャンルです。ザルツブルグの大司教親子に仕えていたモーツァルト親子にとって、日常の業務の中で依頼された音楽だと考えられています。
ホーエンザルツブルク城から見たザルツブルクの街並み
ドイツ出身の父が家庭を築いた地
ザルツブルクは、この街出身のモーツァルトの名とともに人々に知られ、彼の名を冠した音楽学校や、夏の音楽祭が有名ですが、オーストリアの中北部にあり、「北のローマ」と呼ばれた古都です。
「ザルツ」というのはドイツ語で「塩」という意味で、イタリア半島からやってきたローマ人が植民する以前からケルト人によって岩塩の採掘がおこなわれていたようですし、ローマによってキリスト教化されてからは、カトリックの中心地として諸侯から寄進を受けて、宗教的だけでなく世俗的権力も握った大司教が統治する「大司教区」として、独特の発展をしました。現在も残るホーエンザルツブルク城や大司教が暮らしたレジデンツなどの建造物からも当時の栄華をしのぶことができます。
ドイツ・マンハイム出身の父レオポルドは、哲学と法律を学ぶためにザルツブルクの大学に進学しましたが、この地で音楽家となり、結婚して、家庭を持ちました。2人の子供、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトと姉ナンネルにとっては、ザルツブルグが故郷となったのです。幼少期から「教育パパ」だったレオポルドに連れられて、帝都ウィーンをはじめ、欧州のいろいろな土地に旅して勉強し演奏したモーツァルトでしたが、いつも帰ってきてほっとするのは、ザルツブルクの家でした。もちろん、一家の羽振りが良くなるごとに、市内で引っ越してはいますが、彼にとってザルツブルクという場所は、活躍の場所が限られた「小さな街」であると同時に、多くの友人・知人がおり、旅では味わえない家庭の味が存分に味わえる「ふるさと」でもあったのです。
「ザルツブルク・シンフォニー」のニックネームで呼ばれる曲は、モーツァルトの作品番号、ケッヘル番号で136、137、138の番号を持つそれぞれ3楽章を持つ3曲の「ディヴェルティメント」です。彼がまだわずか16歳の時に書かれた作品ですが、比較的自由な形式の弦楽アンサンブルための曲で、特に、KV.136の第1楽章は、そのすがすがしく快活なメロディーで人気の高い曲となっています。