タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」菅田将暉、「LOVE」
「ギザギザな夢」の世代
ものさしを作れ
アルバム「LOVE」は、米津玄師の他にシンガーソングライターの石崎ひゅーい、amazarashiの秋田ひろむ、忘れらんねえよの柴田隆浩、あいみょん、ドレスコードの志磨遼平らも詞曲を書いている。菅田将暉は詞曲を5曲、詞だけを2曲書いている。作家として加わっている人たちの中で90年代生まれは米津玄師とあいみょんの二人だけで他は80年代生まれ。そういう意味で厳密に同じ世代にはならないのだろうが、どの曲も同じような人生観が流れているように聞こえた。
それは「物欲への無関心」「きれいごとへの警戒心」とでもいおうか。
たとえば、「お金も洋服もいらないよ」(「クローバー」)「遍く挫折に光あれ 成功失敗に意味はないぜ」(「ロングホープ・フィリア」)「ああ汚れていくんだ、心が お願いだから僕の隣にいて」(「7.1oz」)「今日もマシンガンをぶっぱなしてやる」(「ドラス」)「何気ない言葉 欲しさにつけこんだメロディ」(「つもる話」)、「いつのまにか おわりがはじまる」(「りびんぐでっど」)「憧れにすがりついた僕は 映画を観ても泣けないよ」(「あいつとその子」)というような一行もそんな例だろう。
アルバムの最後の曲「ベイビィ」は「丸 サンカク 視覚 よくわからないヤツ」で始まり「ギザギザな 夢を 振りほどいて ものさし を 作れ」と終わっている。
「ものさしなき世代」とでもいえばいいのかもしれない。「夢」は「ギザギザ」なのだ。自分たちの置かれている状況やこれから生きてゆく世界に対しての冷めた視線。世の中に溢れている絵にかいたような「希望」や「幸福」や「成功」に対しての懐疑心。敗北も喪失も挫折も身近なところにある。どうやってもかっこよくなれない。でも、それに流されずここから必死に抜け出そうともがいている。諦めているのではなく手探りで体当たりの戦いを展開している。
米津玄師が「灰色と青」収録のアルバム「BOOTLEG」発売時に筆者のインタビューで使っていたのは「ともかく遠くへ行きたい」という狂おしいばかりの渇望感だった。
菅田将暉の歌やミュージック映像の動作には隠し持っているナイフが一瞬光るような危うい「暴力的瞬間」がある。それは「内に秘める米津玄師」と「外に溢れる菅田将暉」という違いで根底にあるものは同じなのではないだろうかと思った。