イヤホンの歴史 5(最終回) カスタムIEMの普及と最新イヤホンのトレンド
前回の「イヤホンの歴史 4 カスタムIEMの誕生 ~耳にぴったりのイヤホンが聴覚を守る~」では、カスタムIEM(インイヤーモニター)の歴史やプロのミュージシャンがカスタムIEMを使うようになった理由をお伝えしました。さて、最終回となる今回は、カスタムIEMがプロだけでなく、一般の音楽ファンへ広まっていった経緯と、ワイヤレスやノイズキャンセリングなど最新のイヤホン事情をお伝えします。
イヤホンの最新トレンドはフルワイヤレス&ノイズキャンセリング。ソニーのフルワイヤレスイヤホン「WF-1000XM3」は、使用状況に合わせて、ノイズキャンセリング/外部音取り込みのONとOFFをイヤホンからコントロールできる。
リスニング用として人気を集め始めたカスタムIEM
もともとステージ用モニターイヤホンとして誕生、発展してきたカスタムIEMですが、フィット感の素晴らしさや遮音性の高さから、本来の使用目的であるライブステージ用としてだけではなく、リスニング用の高級イヤホンとしても高い人気を集めるようになっていきました。
とはいえ、私が最初にカスタムIEM購入を検討し始めた2000年代中盤の頃は、海外メーカーに直接オーダー(当然英語で)しなければならず、そのうえ耳型を採取して海外発送する必要があったり、2~3ヶ月待ってやっと製品が到着しても、フィット感がダメな場合はまた海外に送り戻したりといった、オーダーメイドならではの敷居の高さがありました。唯一、日本国内にシェル製作のラボがあったSensaphonicsだけはレスポンスの良い反応を実現していたように記憶しています。
Sensaphonicsは海外メーカーであるものの、山梨県のラボで生産されている。最上位機種である「Prophonic 3 MAX(MMCX型リケーブルモデル)」は3つのドライバーユニットを搭載し、大音量と高音質を両立させている。
国内でカスタムIEMがオーダーしやすくなる
そういった状況を一変させたのが、日本発のカスタムIEMブランド、FitEarです。すでにプロフェッショナル向けカスタムIEMを展開していたFitEarですが、2007年より音楽やオーディオファンなどのコンシューマー向け製品として「Private323」(発売当時の名称は「323」)をラインナップ。その後、日本屈指のマスタリングエンジニア、原田光晴氏の名を冠した「MH334」などが登場し、日本メーカーならではのレスポンスの良さもあって、カスタムIEMのリスニングユースは、日本国内でも一気に広まっていきます。また、2010年代に入るとアメリカのカスタムIEMメーカー、Ultimate EarsやWestoneなどが日本国内での展開を本格スタート。カスタムIEMへの注目は、さらに高まっていきました。
Modern Jazz Quartet(モダン・ジャズ・カルテット)やAl Jarreau(アル・ジャロウ)、近年の山下達郎作品など、国内外の著名アーティストのマスタリングを手掛ける原田光晴氏が開発・設計アドバイザーとなった「MH334」(FitEar)。
一方で、2000年代後半にはもうひとつ、アジア系の海外メーカーからはこれまでとは全く違った思想、カナル型イヤホンのカスタム化ともいうべき、リスニングを主眼に置いた製品も登場してきました。それは、ダイナミック型ドライバー搭載モデルやハイブリッドドライバー構成モデルの登場です。
それまで、カスタムIEMに搭載するドライバーといえばBA(バランスドアーマチュア)型が当たり前(汗対策や遮音性などの観点からBA型以外は適切でないという風潮が当時はありました)でしたが、イヤホンとしては一般的なドライバーユニットである、ダイナミック型を搭載する製品も登場。さらに、BA型とダイナミック型を同時搭載して掛け合わせてサウンドを作り上げる、ハイブリッド構成のカスタムIEMも登場してくるようになりました。ちなみに、世界初のハイブリッド構成カスタムIEMはThousand Sound社の「TS842」だという説がありますが、現在は中国のUnique Melodyがその代表格といえる存在となっています。
Unique MelodyのカスタムIEM、「MACBETH Custom」の構造図。ダイナミックドライバー(10mm Dynamic Driver)とBA型ドライバー(High Driver)の両方が搭載されているのがわかる。
シェルだけでなく音質もカスタマイズできるカスタムIEMが登場
さらに日本から、2014年に全く新しい思想のカスタムIEMが発表され、2015年から発売が開始されます。それが「Just ear」です。ソニーのもつブラントとしてはかなり特殊な存在となっているこのJust earは、補聴器技術を生かした正確な耳型採取によって良質なサウンドと高い装着性を確保する、"テイラーメイド"を掲げているのが特徴です。
Just earのデザイン的な特徴ともいえる、ゴールドの金属部分は13.5mmのダイナミックドライバー。この大口径のドライバーによる迫力ある低音と、BA型ドライバーによる繊細な中音域を表現するハイブリッド構造となっている。
写真はJust earをオーダーした際にひとりひとり採取される耳型。補聴器の高度な技術を生かした耳型採取ができる、東京ヒアリングケアセンターで行われている。
それにも増して、唯一無二の物づくりといえるのが、音のプロフェッショナルの手を借りて自分好みのサウンドまで作り上げることができる"サウンドもオーダーメイド"であるということです。そのため、Just earの音質調整モデルである「XJE-MH1」のオーダー時は、耳型を作るだけでなく、サウンドキャラクターについてもユーザーの好みに合わせて調整ができます。
音の調整にはソニーで名だたる製品を作り上げてきたイヤホン開発者が音質コンサルタントとして、ユーザーと1対1で調整を行うといった、これまでに想像できなかった体制を整えています。本当の意味で、この世にたったひとつしかないスペシャルなイヤホンを作り上げることができるのです。
2015年に究極のパーソナルオーディオを目指して、Just earを事業化した音響設計のプロフェッショナルであるソニーの松尾伴大氏。音質コンサルタントとして、購入者一人ひとりと向き合って音質を調整してきた。現在は、3人体制でJust earの音質調整は行われている。
耳型や好みの音質の情報は、大分県にあるソニーの工場である「ソニー・太陽」に送られ、ひとつひとつ手作りで生産されます。ソニー・太陽は、ソニーのマイクロフォンの基幹工場であり、MDR-CD900STやMDR-EX800STといったプロ用モニターヘッドホンなど、熟練の技術者による高い信頼性がある工場です。
今年で4周年を迎えるJust earは、ミュージシャンのLiSAさんとのコラボレーションモデル「XJE-MHL1SA」を販売するなど、様々な展開で話題を呼んでいる。
このように、カスタムIEMは日本国内での耳型採取や生産も確立し、安心してオーダーできるようになりました。このジャンルがイヤホンジャンルにおける最前線のひとつであることは確かで、ここから次なる潮流が生み出されることになるかもしれません。そういった意味で、今後もカスタムIEMは見逃せない存在といえるでしょう。
Bluetooth技術向上によるワイヤレスイヤホンの流行
一方、イヤホンやヘッドホンのトレンド全体を見渡してみると、ここ数年で大きな進歩を遂げた製品群があります。それは、Bluetoothによるワイヤレスイヤホンです。
Bluetoothは以前から、スマートフォンやパソコンなどの機器には標準的に採用されていて、ヘッドセット(ヘッドホンとマイクが一体化したもの)やマウス、キーボードなどのワイヤレス接続に活用されていました。しかし、2016年、iPhoneからヘッドホン出力端子が廃止されたことをきっかけに、音楽鑑賞用のイヤホンもワイヤレス化の波が本格化。スマートフォンとケーブル接続しなくて済む扱い易さ、手軽さから、Bluetoothワイヤレスイヤホンは、あっという間に普及することとなりました。
2016年にAppleから登場した「AirPods」は、フルワイヤレスイヤホンが広がるきっかけとなった。写真は第2世代機。
以前は、Bluetoothは音楽鑑賞用としては"音の悪さ"が問題となっていました。Bluetoothは規格上、伝送できるデータ量が少ないため、ハイレゾはもちろん、CDよりもはるかに劣る音質となってしまう弱点がありました。また、低出力のワイヤレス接続ゆえに、音楽再生中に音切れが発生してしまうことも深刻な問題でした。
それを解決してくれたのが、高音質コーデック(音声伝送方式)の登場です。クアルコムのaptXやaptX HD、ソニーのLDACなど、ハイレゾ音源にも対応し(体感的には)CD同等かそれ以上の音質をBluetoothワイヤレス製品でも楽しめるようになりました。また、もうひとつの問題である音が途切れることに関しては、接続安定性の高い最新Bluetoothチップや新アンテナの開発などによって、ここ1年で大きな改善が押し進められました。
このように、音楽鑑賞の用途に合ったBluetoothワイヤレス製品が登場してきたこともあって、イヤホンは有線から無線の時代に移り変わろうとしています。その代表格といっていいのが、プレーヤーとはもちろん、左右のイヤホン本体を繋ぐケーブルもない"フルワイヤレスイヤホン"です。完全ワイヤレス、トゥルーワイヤレス、とも呼ばれています。
ケーブルが全く付属しないことによる、ストレスフリーな使い勝手の良さが好評を博し、このフルワイヤレスイヤホンは現在、急激に普及をし始めています。とはいえ、ケーブルレス故の問題点もあります。それは、装着感がとてもシビアで落下しやすいことです。その解決方法として、実は、IEMのノウハウが活かされていたりします。SHUREなどのユニバーサルIEM系のデザインを採用し、さらにスポーツタイプなどに用いられることの多いイヤーフィンなどで補助することで、使用中に耳からポロリとこぼれ落ちることがない、確実な装着感を実現した製品が増えてきています。
2019年発売のAVIOTのフルワイヤレスイヤホン「TE-D01d」。途切れにくさや音質の良さ、装着感を高めて外れにくくするイヤーウイングなどが好評を博している。
フルワイヤレスイヤホンの新潮流
また、カスタムIEMをBluetoothワイヤレス化、しかもフルワイヤレス化できる製品も登場してきました。FOSTEX「TM2」は耳掛け型の本体を持つユニークなデザインのフルワイヤレスイヤホンですが、イヤホンと本体を接続するアダプタ部分が取り外せるうえ、オプションとしてFitEar用と、カスタムIEMによく使われている2pin用のアダプタがオプションとして用意されています。こちらを利用することで、手持ちのカスタムIEMを手軽にBluetoothワイヤレス化することができるのです。使い勝手の良さから、カスタムIEMのBluetoothワイヤレス化は多くの人が注目しています。このように、Bluetoothワイヤレス、なかでもフルワイヤレスイヤホンがひとつのメインジャンルのひとつとなっていくのは確実でしょう。
FOSTEXの「TM2」は単体でフルワイヤレスイヤホンとして使えるだけでなく、ケーブル交換式のイヤホンやカスタムIEMに付け替えて使える画期的なアイテムだ。
さらにもうひとつ、「ノイズキャンセリング」についても、最新イヤホンにおいて注目キーワードのひとつとなっています。これは一部のヘッドホンに採用されていた技術で、マイクで周囲の騒音を取り込んで、それを相殺する音を発生させ、とても静かなリスニング環境を提供してくれます。そのノイズキャンセリング機能が、最新の高性能化、高集積化によって、ソニー「WF-1000XM3」などのフルワイヤレスイヤホンにも搭載されるようになりました。また、ノイズキャンセリング機能の調整をスマートフォン用アプリから行うなど、Bluetoothワイヤレスイヤホンは、スマートフォンとの連携も押し進められつつあります。
写真は2019年発売のソニーのワイヤレスノイズキャンセリングステレオヘッドセット「WF-1000XM3」。1995年以来、ノイズキャンセリングのイヤホンやヘッドホンを多数開発してきたソニーならではの商品といえる。
元々は1880年代に電話交換手のレシーバーとして誕生したヘッドホン。ソニーのウォークマンが生み出したポータブルオーディオというカルチャーによって、ヘッドホンもイヤホンも劇的に進化しました。Just earのように、自分の耳型に合うだけでなく、音質も自分好みにできるイヤホンも登場し、ますます一人ひとりの生活に欠かすことのできない存在となっていくでしょう。
イヤホンとヘッドホンは、電化製品としては、新しいジャンルであり、その時代ごとの最新技術、文化的な流行と密接に関係し、進化のペースがとても早いのも特徴となっています。今後はさらに様々なタイプの製品が登場してくるはずです。皆さんも是非、イヤホンとヘッドホンの最新動向はこまめにチェックしてみてください。
【筆者プロフィール】
野村ケンジ(のむら・けんじ)
ヘッドホンやカーオーディオ、ホームオーディオなどの記事をメインに、オーディオ系専門誌やモノ誌、WEB媒体などで活躍するAVライター。なかでもヘッドホン&イヤホンに関しては造詣が深く、実際に年間300モデル以上の製品を10年以上にわたって試聴し続けている。また、TBSテレビ開運音楽堂「KAIUNセレクト」コーナーにアドバイザーとしてレギュラー出演したり、レインボータウンFMの月イチ番組「かをる★のミュージックどん丼792」のコーナー・パーソナリティを務めたりするなど、幅広いメディアに渡って活躍をしている。