イヤホンの歴史 4 カスタムIEMの誕生 ~耳にぴったりのイヤホンが聴覚を守る~
前回の 「イヤホンの歴史 3 ~なぜ<耳栓型>イヤホンは広まったのか~」 では、補聴器からヒントを得て、ライブステージ用モニターイヤホンとして誕生したカナル型イヤホンが、装着性の良さや音漏れの少なさなどから、リスニング用イヤホンとしても主流のスタイルとなったことをお伝えしました。
それに先立つかたちでもうひとつ、カナル型イヤホンと同じ潮流からとある製品が誕生しています。それが、今回紹介するカスタムIEM(インイヤーモニター)と呼ばれる高級イヤホンです。これは、ユーザーの耳型を採取して、ぴったりとフィットするシェル(カスタムIEMではイヤホン本体のことをそう呼ぶ風潮があります)を作りあげる完全オーダーメイドのイヤホンです。その内部には、高級カナル型イヤホンにも採用されているBA型ドライバーが複数(少なくても片側2基以上)搭載されています。
※BA(バランスド・アーマチュア)型ドライバー
振動板やコイル、磁石など音を出す機構を超小型のユニットにまとめたドライバー。高級カナル型イヤホンでは、低音域用や高音域用など役割を持ったBA型ドライバーが複数使われている。
プロのミュージシャンがカスタム IEMを使い始める
このように、イヤホン本体のシェルがオーダーメイドであること、複数のBAドライバーを搭載していることから、安くても5万円以上、最新のハイエンドモデルだと30万円前後ものプライスタグが付けられているため、おいそれとは手が出ない超高級モデルとなっています。しかしながら、ライブステージの激しいアクションでも絶対外れない確実な装着感や、-25dB(デシベル)ほどの優秀な遮音性による、ステージ上の爆音からの聴覚保護、それによって生み出されるピュアなサウンドなどの理由から、現在では多くのプロミュージシャンが利用しています。
そんなカスタムIEMが誕生したストーリーには、カナル型イヤホンのスタートにも関わっていたメーカー、 Westone の存在は欠かせません。補聴器分野のリーディングカンパニーであった同社は、1991年には、カスタムIEMをロックバンドのRushやDef Leppardなどに供給しており、現在まで様々なミュージシャンのステージ用モニターイヤホンを供給しています。
1991年からWestoneのカスタムIEMを使用している、Def Leppard。1977年結成のイングランド出身のロックバンドで現在も活躍中だ。写真提供:テックウインド
2017年発売のWestoneのカスタムIEMフラッグシップモデル、ES80。BA型ドライバーを計8基搭載し、高音域(4基)、中音域(2基)、低音域(2基)による3Way方式を採用している。写真提供:テックウインド
1959年に設立され、今年で創業60年を迎えるWestoneは補聴器から軍事分野まで様々な耳に関する事業を行ってきた。写真は1985年頃、補聴器店を通じて一般販売したというイヤーチップ。当時、アメリカではソニーのウォークマンで音楽を聴きながら行うエクセサイズが流行していたが、運動時にイヤホンがずれたり、外れたりする問題を、これを付けることで解決したという。写真提供:テックウインド
また、同時期にもう1社、SensaphonicsもカスタムIEM事業をスタートさせています。創設者のMichael Santucci(マイケル・サントゥッチ)博士は、ステージ上の爆音からミュージシャンの聴覚を守らなければならないという使命感から、1991年にカスタムIEMを開発。聴覚の専門家(オーディオロジスト)の立場からカスタムIEM製作にアプローチしているのが特徴となっています。また、基本的な構成はWestoneなどと共通していますが、シェル素材にシリコンを採用しているなど、他社にはない特徴も持ち合わせています。加えて、時代とともに搭載ドライバー数が増えてきた他社製品に対して、1996年にミュージシャンのPrince(プリンス)に供給して以来、20年以上にわたって変わらずBAドライバー2基の構成によるベーシックモデルをメインに据えているのも、同社ならではの特徴といえるでしょう。
SensaphonicsのカスタムIEMは日本国内では、2004年からジェイフォニック(Sensaphonics Japan)が山梨県にあるラボで生産しており、ミュージシャンの要望に応え、カラーリングだけでなく、宝飾デコレ―ションも可能。下写真はロックバンド、岸田教団&THE明星ロケッツのボーカリストである、ichigoさんが愛用する、「蜂と蜂の巣」と名付けられたカスタムIEMです。
「Sensaphonics 2MAX」という機種をベースに18金やダイヤモンドで飾られている。写真提供:ジェイフォニック
カスタムIEMを装着するichigoさん。聴覚を守り、より良い演奏を行うためのカスタムIEMは、ミュージシャンにとって非常に大切なツールだが、装飾することで一層手放すことができない相棒となるだろう。椎名林檎やBeyonce(ビヨンセ)もSensaphonicsのジュエリー仕様のカスタムIEMを御用達とのこと。写真提供:ジェイフォニック
アメリカを中心に発展してきたカスタムIEMの世界
そののち、前回お伝えしたカナル型イヤホンの開発を行っていた
Jerry Harvey(ジェリー・ハービー)
も、着脱式ケーブルの採用や音質面での追求などユーザーニーズに応えた製品を作り上げ、Ultimate Earsを設立しカスタムIEM製造をスタートさせます。このように、1990年代はアメリカを中心に、カスタムIEMという製品ジャンルが大いに発展していくことになりました。
ちなみに、この3社は採用している(正確にはメインとして押している)シェル素材が異なっていたりします。先に述べたようにSensaphonicsはシリコン製を、Ultimate Earsはアクリル製を採用していますが、Westoneは本体が硬質タイプのレジン、ノズル部分が体温で柔らかくなるソフトタイプのレジンというハイブリッド構造のシェルをメインに据えています。カスタムIEMの黎明期から続く3社が、それぞれ異なるシェルをメインに据えていたり、異なる思想を持ち合わせたりするのは、なかなか興味深い点といえます。
日本発祥のカスタムIEMブランドも登場
こうしたカスタムIEMの潮流は、しばらく後に日本へも上陸することとなります。その原動力となったのが、日本発祥のカスタムIEMブランド「FitEar」の存在です。同ブランドを展開する須山歯研は、もともと歯科技工や補聴器の製造販売を行うメーカーでしたが、2000年代中頃よりプロミュージシャン向けにステージ用モニターイヤホンのイヤーモールド(シェル部分の製作)を受注し始めたことがきっかけとなり、自社開発のカスタムIEMを発売。現在では、日本人ミュージシャンの大多数、数千人(!)が実際にステージで使用しているという、一大カスタムIEMブランドとなっています。
FitEarの最新カスタムIEMである、「FitEar EST Custom」。BA型と静電型の2種類のドライバーユニットを搭載するハイブリッドタイプで、幅広い音域をクリアに再現し、心地よいサウンドが得られるという。画像提供:FitEar(須山歯研)
このように、ミュージシャンの聴覚を守るために生まれたカスタムIEMは、アメリカでスタートし、それが日本を初めとするアジア圏へ徐々に広がっていきました。そして、本来の用途であるプロ用の機材としてだけではなく、一般のオーディオファンからも大いに注目を集め始めるのです。
【筆者プロフィール】
野村ケンジ(のむら・けんじ)
ヘッドホンやカーオーディオ、ホームオーディオなどの記事をメインに、オーディオ系専門誌やモノ誌、WEB媒体などで活躍するAVライター。なかでもヘッドホン&イヤホンに関しては造詣が深く、実際に年間300モデル以上の製品を10年以上にわたって試聴し続けている。また、TBSテレビ開運音楽堂「KAIUNセレクト」コーナーにアドバイザーとしてレギュラー出演したり、レインボータウンFMの月イチ番組「かをる★のミュージックどん丼792」のコーナー・パーソナリティを務めたりするなど、幅広いメディアに渡って活躍をしている。