音楽ユニット「杉山清貴&オメガトライブ」やロックバンド「クレイジーケンバンド」で活躍したドラマーの廣石惠一さんが、脳出血のため2025年3月16日に死去した。64歳だった。クレイジーケンバンドの公式サイトと公式インスタグラムが25日に伝えた。
横山剣さん「この想いを言語化するのはとても困難」
廣石さんは、1978年12月結成の「杉山清貴&オメガトライブ」のドラマーとしてデビュー。1997年結成のクレイジーケンバンドでは、「廣石組長」の愛称でも親しまれた。22年8月末から膝関節炎療養のため活動休止し、方向性の違いを理由として23年3月にバンドを脱退していた。
クレイジーケンバンド公式が25日、「廣石惠一氏 逝去のお知らせ」を公開し廣石さんの訃報を伝えた。
「1997年の結成時から2022年までクレイジーケンバンドのメンバーとして活動された廣石惠一氏が、令和7年3月16日、脳出血のため64歳で逝去されました」
バンドを率いる横山剣さんは、「組長こと廣石さんが亡くなったことは、非常に受け止め難い現実であり、この想いを言語化するのはとても困難」と言葉にならない思いを明かした。
「組長流に言うなら『無理だ!』という状況にあるので、こうしてコメントするのを戸惑いましたが、とにかく、本日、横浜の斎場で廣石さんとお別れをして来た事をここにご報告申し上げます。組長、イイ顔で眠ってました」と報告した。
「今、思えばお互いの意見や不満をもっとぶつけ合えたら良かった」
廣石さんとの出会いについて、「知り合って間もない頃、そうですね、住まいは同じ横浜だし、組長も僕も本牧や大黒の港湾関係で仕事してたので、まるで中高生みたいにお互いの家を行き来しては、好きなレコードを聴かせ合ったりしていましたね。そこには常にノッサンもいました」と振り返った。
「そんな廣石さんといくつものバンドで活動を共にした36年間。良くも悪くも色々な事がありました」とし、反省も明かした。
「2010年代辺りからバンド内での揉め事が少なくなった反面、本音でぶつかり合うこともなくなって来た気がします。それは僕らが大人になったからではないです。CKB結成の時点で既にアラフォーだったし。今、思えばお互いの意見や不満をもっとぶつけ合えたら良かったんですが、そう出来なかったことを謝りたいです」
廣石さんが自身をバンド活動に引き戻してくれたとして、「時期は前後しますが『バンドなんてもうコリゴリ。作曲だけでいい!』なんて自暴自棄になっていた僕をヌルッとバンド実演の世界に引き戻してくれたのが組長でした」と感謝を明かした。
オメガトライブ杉山さんも「廣石、お疲れ」
杉山さんも同日、インスタグラムを更新し廣石さんを追悼した。
「きゅうぱん時代 おれのアパートにて」とのコメントを添え、杉山清貴&オメガトライブの前身となるバンド「きゅうてぃぱんちょす」時代に撮影された廣石さんの写真を公開。「廣石、お疲れ」と呼びかけた。続く投稿では、夕陽に照らされた海の写真に「R.I.P 廣石恵一」とつづっている。
突然の訃報に、ファンからも「優しい眼差し、優しい語り...思い出しています。ありがとう。どうぞ、安らかに...」「もう一度、廣石さんの叩く、『発光! 深夜族』聴きたかった」など、悲しみの声が相次いでいる。