岩手で、福島で、花開いた桜プロジェクト 災害の教訓を次世代につなぐ【震災14年】 #知り続ける

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   今年の桜の開花は、東北地方では4月上旬から中旬と予想されている。

   東日本大震災で甚大な被害に見舞われた岩手、宮城、福島の各地では、震災後に桜をテーマにしたプロジェクトが複数立ち上がった。規模や目的はそれぞれだが、どれも桜に強いメッセージが託された。2つのプロジェクトの今を、取材した。

  • 津波到達地点に植えられた桜(写真提供:桜ライン311)
    津波到達地点に植えられた桜(写真提供:桜ライン311)
  • 桜の植樹のひとこま(写真提供:NPO法人ハッピーロードネット・西本由美子さん)
    桜の植樹のひとこま(写真提供:NPO法人ハッピーロードネット・西本由美子さん)
  • 植樹の前に黙とう(写真提供:桜ライン311)
    植樹の前に黙とう(写真提供:桜ライン311)
  • 見事な花を咲かせた桜(写真提供:NPO法人ハッピーロードネット・西本由美子さん)
    見事な花を咲かせた桜(写真提供:NPO法人ハッピーロードネット・西本由美子さん)
  • 一般植樹会の様子(写真提供:桜ライン311)
    一般植樹会の様子(写真提供:桜ライン311)
  • 大勢で植樹を行う(写真提供:NPO法人ハッピーロードネット・西本由美子さん)
    大勢で植樹を行う(写真提供:NPO法人ハッピーロードネット・西本由美子さん)
  • 桜の木をメンテナンス(写真提供:桜ライン311)
    桜の木をメンテナンス(写真提供:桜ライン311)
  • 桜並木が震災を後世に伝える(写真提供:桜ライン311)
    桜並木が震災を後世に伝える(写真提供:桜ライン311)
  • 津波到達地点に植えられた桜(写真提供:桜ライン311)
  • 桜の植樹のひとこま(写真提供:NPO法人ハッピーロードネット・西本由美子さん)
  • 植樹の前に黙とう(写真提供:桜ライン311)
  • 見事な花を咲かせた桜(写真提供:NPO法人ハッピーロードネット・西本由美子さん)
  • 一般植樹会の様子(写真提供:桜ライン311)
  • 大勢で植樹を行う(写真提供:NPO法人ハッピーロードネット・西本由美子さん)
  • 桜の木をメンテナンス(写真提供:桜ライン311)
  • 桜並木が震災を後世に伝える(写真提供:桜ライン311)

桜並木が示す津波到達点「それより上に逃げて」

   岩手県陸前高田市の浄土寺境内に2011年11月6日、河津桜が植えられた。ここには、東日本大震災の津波が到達した最高地点がある。

「人々の記憶に残りやすく、震災を語り継ぐことができないだろうか」

   岡本翔馬さんが仲間と共に導き出した答えが、桜の植樹だった。市内の津波到達地点に10メートル間隔で1万7000本を植える。桜並木が、東日本大震災で津波が届いたラインを示す。それより上に、避難してほしい――。

   陸前高田は過去、何度も津波に襲われた。1896年の明治三陸地震、1933年の昭和三陸地震でも多くの犠牲を出している。先人は当時の教訓を石碑に刻んで残したが、長い年月が過ぎる中で、その教えが住民に確実に受け継がれていたとは言い難かった。

   勤務先だった東京から地元にUターンしてきた岡本さんはじめ、10人のメンバーは、「震災を分かりやすく伝える」を目的にした桜の植樹を計画。2011年10月に任意団体「桜ライン311」を立ち上げた。

   翌年の3月11日から植え始めよう、と話していたが、団体発足してすぐ、事はとんとん拍子に進む。神奈川県松田町から、河津桜の苗木と成木が贈られることになったのだ。当時の陸前高田市長・戸羽太氏が同町出身という縁もあった。こうして最初の植樹会は、震災から8か月足らずで実現した。岡本さんは、当時の様子をこう振り返る。

「町中がれきの山で、明日の見えない時期でした。そのなかで、目の前にある『やれること』にエネルギーを傾けて、前向きに取り組もうという熱量はすごくありました」

「いつまでに」という期限設けず

   「桜ライン311」は2012年5月に法人格を、14年5月に認定法人格を取得した。1万7000本の桜を植えるという一大プロジェクトを達成するには、「仕事」として取り組む必要性を感じたからだ。今日ではフルタイムのスタッフ7人、パート4人で運営する。岡本さんは現在、代表理事を務めている。

   10年以上続くプロジェクトだが、寄付や助成金で活動資金を賄えており、植樹の希望者も絶えない。半面、岡本さんが難しさを感じるのは「場所の確保」だ。津波最大到達地点を探し、その場所の地権者と交渉して許可を得て初めて、桜を植えられる。地点を結ぶと総距離170キロ。1万7000本の目標のうち、2024年12月までに植えた本数は2324本だ。

   ただ岡本さんは、「いつまでに」という期限は設けていない。ゴールは津波の教訓を、わかりやすく後世に残すことであり、桜は手段。地権者や住民の共感を得られなければ、意味がない。

   復興が進む一方で、津波被害を示す痕跡はほとんど消えてしまった。そこで地元の人たちが、「震災を伝えていかなければ」とのムードが高まれば、おのずと桜ライン311のプロジェクトへの理解は進むはずだ。

「伝承は、一時がんばったから達成できるものではありません。大事なのは、歩み続けることです」

   岡本さんは、息の長い活動の先を見据えている。

「浜通り」貫く国道6号線沿いに桜を

   地震、津波、そして原発事故の影響を受けた福島県広野町。2011年3月13日には町長が避難指示を出し、同4月22日に緊急時避難準備区域に指定された。

   同町でNPO法人ハッピーロードネットを運営する西本由美子さんは、まちづくり支援活動を通じて交流のある子どもたちが心配だった。自身は東京都に一時避難し、岩手・宮城・福島の3県と都内を往復しながら物資を届ける日々。被災地の避難所にいる子から「寂しい」と連絡があれば、顔を見せに行った。2011年6月までに6万7000キロを走行したという。

   緊急時避難準備区域は同年9月30日に解かれ、町の避難指示も翌12年3月31日に解除された。この間、西本さんは、震災前に高校生たちと企画した「町に花を植える計画」が気になっていた。美しい街並みにして企業を誘致し、地元の若者の就職につなげたい――こんな思いから「3年かけて桜を植えよう」と話していたという。

「震災がなければ、2011年12月26日に最初の桜を県道に植樹するはずでした」

   だが生徒たちは散り散りになってしまう。特に計画に熱心だった子がいたが、西本さんがあちこちで安否を確認しているさなか、震災で亡くなっていたと知った。

   その子の思いもかなえたい。ほかの高校生と共に西本さんは、桜の植樹を実行しようと決心した。当初の計画を変え、広野町を含め福島県の浜通りを貫く国道6号線沿いに、南はいわき市から北は新地町まで総延長163キロ、沿線の市町村も加えて桜の苗木を植えるという「ふくしま浜街道・さくらプロジェクト」を立ち上げたのだ。

「子どもにやらせるな」批判に耐えた高校生たち

   最初の桜は2013年1月26日、新地町に植えた。この日のことは「一生忘れません」と、西本さんは振り返る。

   当初は帰還困難区域の範囲が広く、簡単に立ち入れない場所が少なくなかった。許可を得たり、代わりに植えてもらうよう頼んだり、「1年に1本でもいいから」と活動した。資金は寄付や助成金。個人や企業が桜のオーナーになりたいと、次々に名乗りを上げてくれた。

   スタートから12年余り、これまでに植えた桜は1万4000本ほどになった。「だんだん、植えるところがなくなってきて」と西本さんは明かす。最近では、育った桜の世話や剪定(せんてい)といった作業を、ボランティアの人たちが手掛けている。活動の輪は広がり、自発的に周りの木の面倒を見る人も増えた。

   長い年月の間には、エピソードが絶えない。なかでも西本さんの記憶に刻まれているのは、熱心に取り組んだ高校生たちだ。植樹活動には、必ずしも応援の声だけではなかった。原発事故が起きたことで、「子どもにやらせるな」「桜の木から放射能が出たらどうするんだ」といった批判が寄せられたという。だが生徒たちは西本さんに、こう言った。

「私たちで安全な場所を確認したうえで作業をしているのだから、気にしない」
「自分が大人になったら、『この桜は私が植えたんだ』と自慢したい」

   植樹する高校生、寄付してくれた木のオーナーたちにとって、桜は「人生」だと、西本さんは考える。春が来て、桜を見ながら「これは高校生が植えた桜」だと多くの人に思い出してほしい。そしてそれは、東日本大震災を伝えていくものだと。

「桜が語り部になってくれます」

   浜通りが桜満開になる季節は、もうすぐだ。(このシリーズ終わり)

(J-CASTニュース 荻 仁)

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