「子どもにやらせるな」批判に耐えた高校生たち
最初の桜は2013年1月26日、新地町に植えた。この日のことは「一生忘れません」と、西本さんは振り返る。
当初は帰還困難区域の範囲が広く、簡単に立ち入れない場所が少なくなかった。許可を得たり、代わりに植えてもらうよう頼んだり、「1年に1本でもいいから」と活動した。資金は寄付や助成金。個人や企業が桜のオーナーになりたいと、次々に名乗りを上げてくれた。
スタートから12年余り、これまでに植えた桜は1万4000本ほどになった。「だんだん、植えるところがなくなってきて」と西本さんは明かす。最近では、育った桜の世話や剪定(せんてい)といった作業を、ボランティアの人たちが手掛けている。活動の輪は広がり、自発的に周りの木の面倒を見る人も増えた。
長い年月の間には、エピソードが絶えない。なかでも西本さんの記憶に刻まれているのは、熱心に取り組んだ高校生たちだ。植樹活動には、必ずしも応援の声だけではなかった。原発事故が起きたことで、「子どもにやらせるな」「桜の木から放射能が出たらどうするんだ」といった批判が寄せられたという。だが生徒たちは西本さんに、こう言った。
「私たちで安全な場所を確認したうえで作業をしているのだから、気にしない」
「自分が大人になったら、『この桜は私が植えたんだ』と自慢したい」
植樹する高校生、寄付してくれた木のオーナーたちにとって、桜は「人生」だと、西本さんは考える。春が来て、桜を見ながら「これは高校生が植えた桜」だと多くの人に思い出してほしい。そしてそれは、東日本大震災を伝えていくものだと。
「桜が語り部になってくれます」
浜通りが桜満開になる季節は、もうすぐだ。(このシリーズ終わり)
(J-CASTニュース 荻 仁)