原発事故「ふるさとを返せ」14年たった今も 浪江町津島、帰りたくても帰れない【震災14年】 #知り続ける

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   14年間ふるさとに帰れない現実が、ある。

   福島県浪江町津島地区。2011年3月11日、東京電力福島第一原発の事故で町民は避難を余儀なくされた。同地区では今日に至るまで、98.4%が帰還困難区域のままだ。人々の話し声は途絶え、主を失った家は荒れ、草木は伸び放題。帰りたくても帰れず故郷を諦める住民が少なくないなか、今野秀則さんは、旅館だった自宅を残す決断をした。

  • 今野秀則さんは、明治時代から続く旅館「松本屋」の4代目
    今野秀則さんは、明治時代から続く旅館「松本屋」の4代目
  • 建物の2階に客室が並ぶ
    建物の2階に客室が並ぶ
  • 立派なたたずまいの旅館「松本屋」
    立派なたたずまいの旅館「松本屋」
  • 震災直後、避難者が押し寄せた津島診療所。今は閉鎖状態だ
    震災直後、避難者が押し寄せた津島診療所。今は閉鎖状態だ
  • 「松本屋」の近所に、人は誰もいなかった
    「松本屋」の近所に、人は誰もいなかった
  • 今野秀則さんは、明治時代から続く旅館「松本屋」の4代目
  • 建物の2階に客室が並ぶ
  • 立派なたたずまいの旅館「松本屋」
  • 震災直後、避難者が押し寄せた津島診療所。今は閉鎖状態だ
  • 「松本屋」の近所に、人は誰もいなかった

「家を残すにも壊すにも、覚悟が必要」

   明治時代から続く旅館「松本屋」。今野さんは4代目だ。木造の立派なたたずまい。現在は、避難先の大玉村から車で1時間ほどかけて、月に1度は戻ってくると話す。建物内の換気や掃除、被災地案内の対応をしたりしている。

   近所に住民の気配は、ない。住居がそのまま残されている場所もあるが、すでに解体撤去を決めたケースも少なくない。

「家を残すにも壊すにも、覚悟が必要。心の痛みがあるんです」

   今野さんは、こう語った。

   津島地区では2023年3月31日、特定復興再生拠点区域に限って避難指示が解除された。だが地区全体のわずか1.6%しかない。同地区の面積は、JR山手線の内側の約1.5倍という。その広大なエリアのほとんどが、いまだ人が住めない状態なのだ。

   拠点区域外については、避難指示を解除し、住民の帰還・居住を可能とする「特定帰還居住区域」の整備が進められている。だが今野さんによると、津島のなかでも羽附行政区では除染が始まったものの、いつ住民が帰還できるか時期が示されず、他の行政区では除染の時期自体が明らかになっていないという。

   いまだ帰れず、いつ帰れるか見通しもたたない。避難先での生活が5年、10年と続けば、どこかで区切りを付けなければと考える人も出るだろう。

   今野さんは、「松本屋」を残す決断を下した。

「私で4代目になりますが、家には代々受け継がれてきた歴史や思い出がある。地域全体では、さらに長い歴史があります。それをすっぱり諦めていいのか、いや、決してそうじゃないと思ったのです」
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