DJで音楽プロデューサーの宇治田みのるさんが、2025年3月4日にインスタグラムで、世界的ラッパーの千葉雄喜さんと32年越しの「再会」を果たしたとして写真を公開した。そして、その背景にあった「ドラマみたいな話」を明かした。
親友の死に「言葉に表せないくらい悲しかった」
宇治田さんは「ドラマみたいな話だけど本当の話しを...」と切り出し、まず「今から40数年前」、18歳のころの話を振り返った。
当時、「毎日の様に六本木に入り浸っていた」という宇治田さんは、「黄 達雄と言う漢」と仲良くなったという。
黄 達雄(こう・たつお)さんは、「細身な身体にD.Cブランドを身にまとい いつも女を侍らせている少し怪しげなヤサ男」というイメージだったと述べる。2人は一緒にディスコへ行き、「浴びるように酒を呑み女の子をナンパした」と振り返った。
その後1991年、宇治田さんはクラブ「EROS(エロス)」をオープン。一方の黄さんは、宇治田さんとも「昔から知り合いだった女性」と結婚し、「既に子供を授かっていた」という。
しかしその翌年、黄さんは亡くなってしまう。「死因は不明」といい、宇治田さんは「1番多感な時に刺激的な時間を共有した仲間の死は言葉に表せないくらい悲しかった」と当時の心境を明かした。
突然の電話に衝撃「みのるさんは父の親友だったと」
時は流れ、現在――。盛り上がりを見せる日本のヒップホップ界で、「Smash Hitを飛ばしまくるRapper が現れた」と衝撃を受けた人がいた。それが、
「KOHHから改名した千葉雄喜と言うRapper だった」
という。
彼の活躍について、「日本全国のDJが彼の曲をかけ 子供たちは公園で友達と『チーム友達』と歌いDISCO世代の大人までが彼の曲をリクエストしてくる」し、24年6月には米ラッパー・ミーガン・ザ・スタリオンとのコラボ曲をリリースして、「世界の千葉雄喜」になったとその人気ぶりを伝える。
そんなある日のこと。宇治田さんのもとに、知人のDJ YUTAKAさんから電話があり、千葉さんと「一緒に仕事してるんだけど ミノルと話したいって言うから電話かわるね」と言われたという。
宇治田さんは、「一方的に千葉雄喜くんの事は知っているが話をするのは初めてだし何より面識がない...はずだ...」と不思議に思っていると、千葉さんは
「みのるさん...オレ...黄 達雄の子供です みのるさんは父の親友だったと母から聞きました...」
と話したという。宇治田さんは「身体が震えた」「あの葬式の時に傍にいた小さな子供...確かまだ2歳くらいだったあの男の子がRapper の千葉雄喜くんだったのを知る事になった衝撃的だった」と振り返る。
ついに再会果たす「胸が締め付けられる様な想いに」
電話を切った後、宇治田さんは、千葉さんが以前名乗っていた「KOHH(コー)」について「父親の名字黄(こう)を継承していたんだと知った」「小さな時に父親を失い記憶もほぼないはず けど父親の名前をアーティスト名にするくらい雄喜くんにとって父親は大切な存在なんだろう」と思いやった。
そして投稿の前日、「32年前のお葬式以来の再会を果たした」と報告した。
宇治田さんは、千葉さんとの再会について「歩道を歩いてこちらに向かって来る姿を見た瞬間 胸が締め付けられる様な想いになり涙が出てきた」と振り返る。「みのるさん、雄喜です やっと会えました」と話した千葉さん。その様子に、宇治田さんは「その喋り方、立ち姿、顔の輪郭から細かい動き...それは亡くなった黄 達雄そのものだった」と感じたという。
その日、千葉さんには、黄さんの思い出話をしたという宇治田さん。「まだまだ話し足りない事が山ほどあったけど...昨夜からオレと千葉雄喜くんは"チーム友達"になった」といい、「この先 時間は沢山ある だからこれからはお父さんの話をしながら何度でも酒を酌み交わそう」と呼びかけた。
この投稿に、「物凄くいい話しです。ちょっと感動しました」「読んでいて震えました。。。涙でました。。。」といったコメントが寄せられたほか、Xでも注目を集め、「すげー話だな」「感動した」といった声が寄せられている。