日本航空(JAL)が2025年2月4日、東京-香港線開設70周年の式典を羽田空港で開いた。ちょうど70年前の1955年2月4日に開設された路線だ。
JALにとっては、米統治下で国際線扱いだった沖縄(那覇)線を除けば、サンフランシスコ線に次いで古い路線。初のアジア路線で、沖縄線を延長する形で開設された。香港線は、さらにバンコクやシンガポールに延長された経緯があり、JALにとっては「アジア進出の足がかり」とも言える存在だ。当初から東南アジア-日本-北米の乗り継ぎも意識されており、アジアと北米を結ぶ役割も果たしてきた。
週2便・那覇経由で往路10時間、復路8時間
70年前の初便は、サンフランシスコ線と同様に、エンジンが4つついた、プロペラ機のDC-6B型機(JA6203)で運航。貨物機のDC-6A型機を米国から入手して旅客機に改造した。JALにとっては3号機で、「City of Tokyo」「City of Kyoto」に続いて「City of Nara」の愛称がつけられた。
当初は週2便で運航が始まり、往路は10時間、復路は8時間かかっていた。「日本航空20年史:1951-1971」(74年)によると、55年4月に週3往復に増え、11月にうち1往復が直行便になった。56年10月には、この香港線を延長する形でバンコク便を開設。58年5年には、さらにシンガポールまで延長された。この東京-香港-バンコク-シンガポール路線について、「20年史」では
「この路線は太平洋戦争中、大日本航空が双発機で飛んでいた定期航空路線であり、その『復活』とともに、日航の東南アジア地域への進出はほぼ一段落したものといえよう」
と指摘している。
式典であいさつした西原口香織・東京支社長も、路線延伸の経緯に触れて
「香港線が当社のアジア進出の足がかりとなったと言えると思う」
と説明。路線の意義を
「日本と香港、北米、アジア諸国の距離が飛躍的に短く、近くなった。それによって、アジア太平洋諸国の経済成長、交流に、少しでも貢献できたのではないか」
などと話した。