渡邉恒雄・読売新聞主筆逝去 98歳 マスコミ・プロ野球に「君臨」

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「本質はリベラリスト」と自負

   もともと「野球は素人」(『わが人生記』)だったが、78年の「江川騒動」で読売グループとしての事後処理を担当。90年ごろから読売巨人軍の経営にも深くかかわるようになった。

   2004年のプロ野球1リーグ構想では、選手会の古田敦也会長を「たかが選手」と軽んじた発言が物議をかもした。11年の東日本大震災に絡むプロ野球の開幕延期問題や、巨人の監督やコーチ人事でも「オーナーの意向」が波紋を広げることがあった。野球賭博問題にからみ16年3月、巨人の最高顧問を辞任し、野球からは退いた。

   入社したころ読売は、毎日、朝日の後塵を拝し、「三番手の新聞」だった。その後、発行部数ではトップに立ったが、朝日に対しては闘争心をむき出しにすることが多かった。「朝日新聞の社説は本当に世を惑わす」と憤慨し、「現実は読売新聞の主張通りに動いている」と自負していた。一方で、朝日新聞や同社の雑誌媒体には積極的に登場した。

   とりわけ朝日新聞論説主幹、主筆を務めた若宮啓文氏(1948~2016)とは何度も対論。16年4月に若宮氏が急逝したときは、朝日新聞に長文のコメントを寄せ、「親友として敬愛していた。安全保障では立場が違ったが、お互い本質はリベラリスト。論争では半分一致し、半分一致しないぐらいだった。(靖国首相参拝問題では)彼と同じだった」と悼んだ。

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