稲村氏「市民派なのに、従来型政治の代表者と思われた」
一方、稲村氏は、11月19日に選挙関係者の家からビデオ出演した。少し疲れた様子だったが、笑顔も見せた。
選挙戦について、稲村氏は、街中では応援する人が目についたが、ネット上では、違う言説が飛び交い、その温度差を感じるところがあったと明かした。最後に逆転された敗因について聞かれると、自らは市民派として活動してきたが、既得権や従来型政治の代表者と見られる感じが強かったと振り返った。従来型政治を変えていこうという立ち位置にいたが、力不足でそこが十分伝えられなかったのが敗因だという。ただ、SNSの影響力が指摘され、組織とは別のツールが示されたとして、新しい選挙戦の形が見えたとの見方を示した。
既得権側と見られてしまった理由については、尼崎市長時代と違って、つながりのないエリアも多く、議員や首長ら政治家が関わる割合が多くなったことを挙げた。阪神・淡路大震災のときのボランティア活動で被災者に向き合わない政治に疑問を持ったのが政治家になったきっかけで、自らを「市民自治派」と称して兵庫県議時代には前の県政に対し財政問題で批判的に発言していたという。しかし、今回の選挙戦では、議員イコール従来型政治の代表者と思われてしまったと述べた。
政策については、文書問題への対応のあり方や行政組織のガバナンスについて、斎藤氏のマネジメントに問題点を感じて立候補したと説明した。知事に進言するのは難しい雰囲気があり、文書問題でも、もっと積極的に第三者委員会をやるなど対応の仕方があったのではと問題提起した。県政が停滞していると感じたため、改めるところは改めるべきだと今回チャレンジしたと明かした。