火野正平さん死去 腰痛で活動休止も...ファン涙「こころ旅への復帰を心待ちにしてたのに」

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   俳優で歌手の火野正平(本名:二瓶康一)さんが2024年11月14日に亡くなった。75歳だった。所属事務所のシーズ・マネージメントが20日に発表した。

  • 火野正平さんの紹介ページ(シーズ・マネージメント公式サイトより)
    火野正平さんの紹介ページ(シーズ・マネージメント公式サイトより)
  • NHK「にっぽん縦断 こころ旅」公式サイトより
    NHK「にっぽん縦断 こころ旅」公式サイトより
  • 小沢仁志さんのインスタグラム(@ozawa_hitoshi)より
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  • NHK「にっぽん縦断 こころ旅」公式サイトより
  • 小沢仁志さんのインスタグラム(@ozawa_hitoshi)より

「夏の腰部骨折を機に体調を崩し......」

   火野さんは12歳の頃から児童劇団「劇団こまどり」に所属し、62年に江戸川乱歩原作のテレビドラマ『少年探偵団』(フジテレビ系)でデビュー。大河ドラマ『国盗り物語』(NHK)に羽柴秀吉役で出演しブレイクした。

   11年からは、相棒の自転車・チャリオに乗って日本全国を走る紀行番組「にっぽん縦断 こころ旅」(NHK BS)の「旅人」として人気を博した。

   シーズ・マネージメントは20日、「弊社所属俳優 火野正平が令和6年11月14日享年75にて逝去いたしました」と発表した。

「4月より持病である腰痛の治療に励んでおりましたが 夏の腰部骨折を機に体調を崩し 最期まで仕事復帰を願っておりましたが叶いませんでした 自宅で家族に見守られ 穏やかな最期でした」

   葬儀は家族葬にて済ませたといい、「長らくこのお仕事に携わり 関係の皆様には大変お世話になりました 重ねて御礼申し上げます 応援してくださった皆様にも 心から感謝申し上げます」と感謝をつづった。

   「にっぽん縦断 こころ旅」公式サイトでも、火野さんの訃報を伝えている。

   「14年間にわたり『にっぽん縦断 こころ旅』旅人として、"こころの風景"を訪ねてくださった火野正平さんが、11月14日逝去されました」とし、「火野正平さんには、1200日を超える旅を続けてくださったことに、深く感謝申し上げるとともに、心より哀悼の意をささげます」と追悼のメッセージを寄せた。

   復帰を心待ちにするファンも多い中での訃報に、SNSでは「そんなぁ・・・・絶対に戻っていらっしゃると思って楽しみにお待ちしていたのに・・・ものすごくショックです」「こころ旅の復活を楽しみにしておりました とても残念でなりません チャリオも悲しんでるだろな」など、惜しむ声が相次いでいる。

「誰よりも穏やかで 優しく、艶やかな人だった」

   関係者らからも悲しみのコメントが上がった。

   俳優の小沢仁志さんは、インスタグラムで、ありし日の火野さんの写真と、火野さんらと居酒屋で並んだ写真を添え「また大好きな先輩が いなくなっちまった...」と悲しみをつづった。

「『昭和のプレイボーイ』と呼ばれていたが 誰よりも穏やかで 優しく、艶やかな人だった もう少し飲みたかったが またどこかで飲もうよ先輩! それまでは...合掌」

   俳優の中野英雄さんも、インスタグラムで「最後は奥様や家族に手を握られながら逝った先輩 素敵だよ」とコメント。「優しく愛が深い火野さん 貴方の笑顔が大好きです いつまでも大好きです」と故人を偲び、「11月3日に電話くれましたね 嬉しかった あの時の声は忘れません また向こうで後輩やらして下さい」と呼びかけた。

   火野さんが「相模の彦十」役を務めた時代劇『鬼平犯科帳』公式Xは、火野さんについて「平蔵の昔なじみであり、裏の世界の酸いも甘いも噛み分けた密偵〝相模の彦十〟役を演じ、『新たな鬼平』には欠かせない存在感を示してくださいました」と振り返った。

   「火野さんは以前、『鬼平犯科帳』の撮影現場で、『皆があんまり悲しそうだったら笑わせてやろうとか、笑いが多いなと思ったらトーンをちょっと落としてみようとか、そんなことをずっと考えて演じてきました』と話し、物語の中ではもちろん、撮影現場においても心の支えでした」と故人の人柄を偲んでいる。

   タレントのいとうせいこうさんも、「火野正平さんが逝ってしまわれた。Vシネの仕事で一緒に泊まり込みで何日か撮影した時、人生のアドバイスを色々してくださった。心の中で叔父貴と呼んでいた。収録先の山荘で麻雀した時の緊張は忘れない」と故人とのエピソードを明かし、「惜しい傑物を私たちは亡くした」とした。

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