大谷翔平は「メディアに映らないところで闘っている」 元大リーガーが指摘...大リーグのシビアな部分

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   大リーグのミネソタ・ツインズなどでプレーした西岡剛氏(40)が、2024年10月24日に公開されたユーチューブ動画「ミスターパーフェクト槙原」にゲスト出演し、大リーグ時代のエピソードを明かした。

  • 大谷翔平選手(編集部撮影)
    大谷翔平選手(編集部撮影)
  • 大谷翔平選手(編集部撮影)

「レベルの違いに鼻をへし折られましたね」

   大阪桐蔭高校出身の西岡氏は、02年ドラフト会議でロッテから1位指名され入団。05年シーズンからレギュラーとなり、主力としてチームをけん引した。10年シーズンには打率.346を記録し、首位打者のタイトルを獲得した。

   10年オフにポスティングシステムを利用して、大リーグのミネソタ・ツインズに移籍。球団とは3年契約を結んでいたが、2年目の12年シーズン終了後に球団に契約解除を申し出て退団した。

   12年オフに阪神に移籍し、6年間プレーした。その後は、BCリーグの栃木ゴールデンブレーブスでプレーし、21年に引退した。

   西岡氏は大リーグに移籍した当初の印象について、「レベルの違いに鼻をへし折られましたね。これは無理だなとなりました」と振り返り、その理由について、こう語った。

   「キャンプ中のオープン戦で、3割7分くらい打ったんですよ。これくらいだったら、対応できるなと思った。メジャー開幕しました。開幕戦はエースが投げるわけじゃないですか。その1球目をみたときに、『これ対応できるか? ヤバい』となった。1度詰まって打ち取られたときに、日本の球とちょっと違って、絶望感が生まれるくらい全然飛ばなかった。『なにやってるんだろう。いままのはなんだったんだろう』というくらい、ヤバいとなった」

   西岡氏によると、開幕から数試合は打率2割7分、8分をキープしていたが、4月7日のニューヨーク・ヤンキース戦で左足を骨折したという。ヤンキースの1塁走者が2塁にスライディングしたときに、カバーに入った西岡氏の左足が走者と交錯し、左足を骨折した。

   6月に戦線復帰するも打撃は低迷が続いた。結局、1年目は68試合に出場し打率.226、19打点、本塁打ゼロに終わった。

「メジャーの球場に出るのが怖くなった」

   西岡氏は大リーグ1年目を次のように振り返った。

   「差別とかは感じませんでしたが、激しさはきますよね。アジア人に対しては。(洗礼を)浴びましたね。(ケガのため)2か月くらい飛んで、すぐに復帰してチャンスをもらったが、そのチャンスを生かしきれなかった」

   そして、2年目のシーズンに言及。2年目は開幕をマイナーで迎え、シーズンの大半をマイナーで過ごし、大リーグ出場はわずか3試合に留まった。

   「2年目はマイナーで1年間いて、途中メジャーに上がったりもしたが、鼻をへし折られているので、メジャーの球場に出るのが怖くなった。向こうはすごくシビアなので、スターティングメンバーの発表で、僕の名前が呼ばれると、成績が出ていなかったら、スタメンの発表でブーイングが起きる」

   このような自身の経験を踏まえ、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手(30)に言及。「大谷選手もそういうところで、メディアに映らないところで闘っている」と語った。

   MCを務めた元巨人投手で野球解説者の槙原寛己氏(61)は、西岡氏の言葉を受け「あれだけなれば、やっかみがすごいよね。1000億円をもらっている。むこうでナンバーワンのサラリーを取っているわけだから。『お前って、文句言ってくるやつはいっぱいいるよね』」とコメントした。

   大谷はロサンゼルス・エンゼルスを経て、今シーズンからドジャースでプレー。ナ・リーグ西地区を制し、ポストシーズンを勝ち抜きワールドシリーズ進出を決めた。

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