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放送劇でシンデレラの「まま母」の声が評判に

   そんな大山さんの背中を押したのは、母のアドバイスだった。「弱いところをかばっていると、どんどん弱くなる。声が悪いからといって、黙っていたら、しまいには声が出なくなる。むしろ、何か声を出すクラブ活動に参加して、どんどん声を使いなさい」。

   意を決して大山さんはまず応援部へ。女子は採らないというので、放送研究部に入る。毎日、マイクで校内放送を担当し、放送劇もやった。そんなある日、演劇部から声がかかる。秋の文化祭で「シンデレラ」をやるので出てほしいというのだ。もちろん大山さんの役は「まま母」だ。

「あんな怖いまま母、初めて見たわ」
「ドスの効いた声で、ものすごくよかった」

   学校中で評判になり、そのまま演劇部にも入ることに。こうして大山さんの新しい人生の幕が開いた。

   1974年、ドラえもん」スタート。ほどなく原作者の藤子・F・不二雄さんが声優たちの録音スタジオを訪れた。「先生、あのー、私、あれでいいんでしょうか」。大山さんは恐る恐るたずねた。

「ドラえもんって、ああいう声だったんですねえ」

   原作者から、声優冥利に尽きる答えが返ってきた。そうして、ドラえもんとの人生が26年も続くことになった。

   子供がいなかった大山さんの家はドラえもんだらけ。グッズはすべて集めた。自室の目覚まし時計の声も「ドラえもん」だった。

「まだ起きないのッ、早く起きなさいッ!」
「今日は君のお誕生日でーす。パンパカパーン おめでとう~」

   元気だったころは、大きなあの声で、いっしょにしゃべりながら起きていたという。

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