強烈な風刺漫画で人気のあった山藤章二さん(2024年9月30日死去)はその刺激の強さで政治家などから反発を受けることもあったが、じつはやさしい人だった。
「似顔絵塾」から弟子が育ち、J-CASTニュースでも似顔絵
山藤さんは武蔵野美術学校(現在の武蔵野美大)を卒業後、広告会社のデザイナーとなるが、すぐに独立して雑誌の挿絵などで独特の画風を編み出した。
1976年から始めた週刊朝日の「ブラックアングル」は政治家、芸能人などの有名人を題材にしたが、描かれた人は喜ばないが、読者は大喜びの毒のきいた似顔絵で、掲載場所が裏表紙の前のページだったことから「週刊朝日を裏から開かせる男」と呼ばれた。
編集部が描かれた人から抗議を受けたことはたびたび。しかし、鋭い批評精神と痛烈な毒こそが、山藤さんの真骨頂だった。大平正芳首相を岸田劉生の名画「麗子像」のように描いた名作「麗子微笑」などは何回見ても笑ってしまう。
週刊朝日ではその後、もう一つの企画「似顔絵塾」が開設され、各界の様々な人を描いた投稿の似顔絵が毎週の誌面を飾って人気だった。ここから多くの「弟子漫画家」が育っている。
J-CASTニュースの似顔絵の一部は、山藤さんが紹介してくれた似顔絵塾の弟子の作品である。
「絵のうまい人は文章がうまい、文章がうまい人は絵もうまい」
また、朝日新聞のニュースを飾る似顔絵が山藤作品だった時代もあった。この似顔絵にはさすがに毒は盛れない。
作品だけを見ると怖そうな人だが、物腰の優しいジェントルマンだった。週刊朝日の編集部には毎週現れ、細かく打ち合わせをする。絵もうまいが、文章も達人だった。
やはり画家で文章も書いた安野光雅さんと食事をしながら「絵のうまい人は文章がうまい、文章がうまい人は絵もうまい」と頷き合っていた。
大声を出すことはなく、一見シャイに見える人だったが、テレビに出演するのが嫌いではなかった。様々な催しに出演した。
30代のころ、その穏やかな人が色をなして反論したことがあった。雑談しているとき、墨を使って漫画を描く漫画家の絵と似ていると軽く話したのだが、あんなのとは全く違う、全然違うと不機嫌になった。ユニークであることに強く拘る人でもあった。
息子さんの結婚披露宴に芸能界、マスコミなどから多くの知名人を招いた。「こういうことはみっともないが、親ばかで勘弁してください」と恥ずかしそうに頭を下げて回っていた。
2021年に連載を終え、外へ出ることなく、夫婦で静かに過ごしていた。
(J-CASTニュース発行人 蜷川真夫)