「とんち教室」「話の泉」にかじりつく
山藤さんは、『自分史ときどき昭和史』の中で成功の理由を自己分析している。
ひとつは「器用」。「描く前に、こういうタッチ描こうとすると、ほぼそれに近い絵が描ける」。絵のスタイルも「切り絵」「インクスポット絵」など10種類ほど持っている。そこに「言葉」が加わる。「落語」「漫才」「俳句」「和歌」「川柳」「春歌」「都々逸」「民謡」「とんち」「芝居の台詞」「ごろ合わせ」「駄洒落」などにはほとんどすべて対応できる知識と技量がある。実際、落語、俳句、川柳、駄じゃれなどに関する著作もある。デザイン科出身なので「レタリング」も得意だ。ありとあらゆるスタイルの文字が書ける。
加えて一番の才能は「耳」だという。子供のころの唯一の娯楽がラジオだった世代。「二十の扉」「とんち教室」「話の泉」などの人気番組にかじりついた。そこで鍛えた「耳」が、面白い話や、すばらしい言葉を聞き逃さない。
自身の性格も幸いした。熱烈なタイガーズ・ファンという一点を除いては、過度に怒ったり、嫉妬したりしない。クールな観察眼と、対象との距離感が必要な風刺画の世界に適していた。幼少時からの「夢想癖」もプラスになった。