自民党の総裁選(2024年9月12日告示、27日投開票)に立候補した小泉進次郎元環境相(43)が、9月12日に行われた所見発表演説会で、生き別れ状態となっていた実母への思いを語る場面があった。
実母は過去のインタビューで「いっぱい涙を流したから、人の痛みがわかる人間になれた」
進次郎氏の父・純一郎元首相は、元妻の宮本佳代子さんと1978年に結婚し、約5年後に離婚。佳代子さんは、進次郎氏と兄で俳優の孝太郎さんを残して小泉家を去った。
その後、進次郎氏・孝太郎さん兄弟と母・佳代子さんは、長年にわたって「生き別れ」に近い状態が続いてきた。
佳代子さんは16年3月発売の雑誌「いきいき」(現在のハルメク)で、離婚からの年月について「いっぱい涙を流したから、人の痛みがわかる人間になれたと思います。人は生きている限り進化できるのではないでしょうか」と振り返っている。
「大学生になり、初めて名字の違う弟と会いました」
進次郎氏は12日、総裁選に際しての所見発表演説会に臨んだ。スピーチでは、日本や世界を取り巻く環境の目まぐるしい変化に触れ、「私自身も2児の父親になったことが人生の転機となり、それまでとは物の見方が大きく変わりました」とした。
目指す政治のあり方を語った進次郎氏は「包容力ある保守の精神」を大切にしていると語り、「私自身が、そんな人生を歩んできました」と切り出した。
「両親が幼い頃に離婚し、中学2年生までそのことを知らず、母親だと思っていた人はおばでした。兄と2人兄弟だと思っていたら、弟がいると告げられたのもその時でした」
弟とは既に会っているといい、「大学生になり、初めて名字の違う弟と会いました。親父とそっくりで、びっくりしました。一瞬で、それまでの距離と空白が埋まりました」と、離れて育った弟とは良い関係を結ぶことができたという。
「(実母に)会ったら、母親代わりとして育ててくれたおばを裏切ることになると思った」
「ただ、それでも、私を産んでくれた母には、会う気にはなれなかった。会ったら、母親代わりとして育ててくれたおばを裏切ることになると思った」と振り返った。「そんな思いに変化が生まれたのは、そのきっかけは、私自身が子どもを持つ、親になったこと」だったという。
24年になって初めて実母に会いに行ったという進次郎氏は、「詳しくは控えますが、会って良かったと思っています」と穏やかな表情で明かした。
「43年間、会うこともなく、名字も違う。それでも、家族は家族。私は、そんな人生を歩んできたから......。誰もが自分らしい生き方ができる、国民の皆さんひとりひとりの多様な人生に選択肢を広げる政治家として生きていきます」と、政治家としての理念を語った。