「スポーツ選手に対し過剰な清廉性や品行方正を求めるようになった気がしています」
この件に関して、長谷川さんは「東国原さんの中で柔道というのはスポーツではないんですよね。あくまでも柔道家、武道家として勝手にハードルがあげられてしまう。『選手』の代わりに『(柔道)家』がつくと崇高なものとして高貴さを求めてしまう方が一定数いる。『家』がつこうが『吉野家』(編注:牛丼チェーン)のようにカジュアルであっていいと思います」とした。
また、長谷川さんは詩選手の号泣に「賛否があっていい」とした上で、「私の場合は肯定的に受け止めました」と説明した。
「スポーツの祭典をやたら美談に仕立て上げようとするテレビ報道の影響もあってか、スポーツ選手に対し過剰な清廉性や品行方正を求めるようになった気がしています。感情の吐露くらい普通なのではないでしょうか」
やたら美談にしたてあげようとするテレビ報道のせいでスポーツ選手に対し清廉性や品行方正はもちろん、なぜか武士道のようなものを求めすぎなんですよね。てか、なに武士道って
— 長谷川良品 (@ryohin_jp) July 31, 2024