上司の言葉がけひとつで、モチベーションが高まった経験はありませんか?
実際のエピソードや感動的なエピソードを取り上げ、人材育成支援企業FeelWorks代表の前川孝雄さんが「上司力」を発揮するヒントを解説していきます。
無言の重圧に心臓が縮む思い
<月曜日、血相を変えた部下がやってきた 大問題が発生「100万人以上会員のメルマガが配信されていません!」>の続きです。
「誠に申し訳ございませんでした!」「会社に甚大な不利益も及ぼしましたので、どのような懲戒処分もお受けします!」
部下の大失敗の緊急報告に役員室を訪れたSさんは、担当役員のAさんから厳しい叱責を受けることを覚悟し、しばらく頭を深々と下げていました。
ところが...。
担当役員のAさんからは、何の言葉も戻ってきません。
Aさんは、担当事業の「中興の祖」ともいわれ、さまざまなビジネスの修羅場を乗り越え、役員に上り詰めた人。Sさんより二回りも年長の、怖い存在です。
まさに、蛇に睨まれた蛙。無言の重圧に心臓が縮む思いで、生きた心地もしません。
勇気を出し、Sさんが恐るおそる顔を上げると...。
Aさんは、Sさんの目をじっと見つめながら、無言のまま自分自身の胸を拳でトントンと何回か軽く叩きました。
そして、慈愛にあふれた口調で、こう述べたのです。
「君の部下のOさんやTさんの、ここは大丈夫か?」(Aさん)
「はっ? どういうことでしょうか?」(Sさん)
Sさんは、Aさんの意外な言葉に驚きながらも、まだよく呑み込めません。
「ハートだよ、ハート。上司の君がそんなに慌てているのだから、君の部下たちは自分の失敗の重大さに、さぞかし動揺していることだろう。君の部下たちの心が折れていないか、それが心配で訊いているんだよ」(Aさん)
Sさんはハッしました。
Aさんの思いがけない問いかけに、大きな衝撃を受けたのです。
「申し訳ございません! そこまで思いが全く至りませんでした。顧客や取引先や関係部署への影響の大きさと、自身の至らなさにばかり気がいっていまして...」(Sさん)
「いま、君が一番ためされているんだ」
「わかるよ。うちの会社としても、相応の対応が求められる事案だからね。でも、君も君の部下も、意図して会社に不利益行為を働いたわけじゃないだろう。懲戒云々なんて、先走りして考えるんじゃない」(Aさん)
Sさんにとって、Aさんは若手時代からの上司部下の間柄。仕事には苛烈な厳しさを持ちながらも、人に対するあたたかい眼差しを持ち続けるAさんは、第二の親父のような存在。
この非常事態においても動じることなく、変わらないAさんの言葉に、Sさんは胸が詰まって何も言えませんでした。
そして、部下の気持ちなど考える余裕もなく、ただただ失敗の責任を自身がどう取るべきかしか頭になかった自分に恥じ入るばかり...。
「おいおい。いまチームを率いる君が一番試されているんだそ。専務と社長には私から報告入れておくから、上は気にしなくていい。現場に戻って、事後対応を急ぎなさい」(Aさん)
「は、はい。有難うございます...チームに戻って...」(Sさん)
Sさんは、熱い涙が込み上げて、最後まで言葉を続けられません。
「よろしく頼むぞ。Oさんたちは、自分たちの失敗については、もう十分に反省しているはずだ。それでいいじゃないか。今からはお客様への誠意ある対応に専念すること。そして、二度と同じミスを繰り返さないことだ。私のほうからも、後ほど取引先トップと関係部署の担当役員など、しかるべきところにお詫びの連絡を入れておくよ。来週の役員会で話すから、その準備打ち合わせは明日やろう」(Aさん)
「ありがとうございます。 よろしくお願いいたします!」(Sさん)
もう一度深々と頭を下げると、Sさんは頬を熱くしながら、役員室を後にしました。
叱責とは正反対のAさんの意外な言葉と懐の深さに、人を活かすマネジメントの真理を学んだ思いでした。
部下に配慮する余裕がなかった自分を猛省
Sさんは、自分の部署に戻ると、早速OさんとTさんを呼びました。
2人は、緊張した面持ちで、恐る恐るSさんのもとにやってきました。
「担当役員のAさんには、よくご理解を頂けたし、対処方針もご承認頂いたので大丈夫だ。それから...OさんもTさんも、気持ちは折れていないか、大丈夫か?」(Sさん)
「あっ、はい...。ご配慮ありがとうございます。そ、そんな言葉をいただくなんて...」(Oさん)
「申し訳ありません。ありがとうございます...」(Tさん)
Sさんが役員室に向かい、部署に戻るまで沈痛な思いでいた2人。まずは担当役員からの厳しい叱責がなかったことに、早朝から続いた緊張がゆるみ、さらにはSさんからの意外な言葉に涙ぐんでいます。
「いや、僕もすっかり慌ててしまい、2人を気遣う余裕がなくて悪かった。本当にごめんね。人がやる仕事なんだから、ミスが起こることもあり得る。そして、起こってしまったことは変えられないけど、今は事後の対応が大事だ。また、二度と同じミスを繰り返さないようにしよう。ここは気持ちを切り替えて、まずは早急に関係先やお客様への連絡とお詫びを進めよう」(Sさん)
「はい! 承知しました。直ぐに取りかかります!」(Oさん)
Sさんは、2人の少し落ち着いた表情を見て、安堵するとともに、心の内で自分の器の小ささを猛省したのでした。
常に部下の心を見据え、必要なケアにあたること
このエピソードから得られる気づきを、押さえておきましょう。
まず、失敗やミスはしないに越したことはないものの、どんな仕事にも必ずつきものです。大事なことは、部下に同じ失敗を二度と繰り返させないことです。
失敗の原因と意味を、しっかりと自覚させること。そして、今後の再発防止に万全を期すことです。
その上で、上司にとっては、部下の仕事のマネジメントとともに、メンタルケアが大切な役割であることを忘れてはなりません。管理職としては、部下の業績目標達成への注意喚起や失敗に気を尖らせがちです。
昭和の時代に活躍した日本を代表する社会心理学者・三隅二不二氏は、「PM理論」を打ち立てています。
これはリーダーシップには「P:Performance(目標達成機能))と「M:Maintenance(集団維持機能)」の2軸が求められ、状況に応じてどちらに重きを置くか意識すべき、というもの。
私の会社が提供する「上司力(R)研修」でも、「ついつい管理職はPに向きがちであるため、Mを意識しましょう」とよく引用して説明します。
仕事の成果は大事ですが、管理意識ばかりが先行し部下の立場や心を顧みず、モチベーション低下やメンタル不調を招いたのでは、本末転倒です。
Sさんは、役員Aさんの絶妙な問いかけによって、上司の心得を教えられました。常に部下の仕事とともに心を見据え、必要なケアにあたること。それも上司に不可欠な役割なのです。
(紹介するエピソードは実際にあったものですが、プライバシー等に配慮し一部変更を加えています。)
【筆者プロフィール】
前川 孝雄(まえかわ・たかお):株式会社FeelWorks代表取締役。青山学院大学兼任講師、情報経営イノベーション専門職大学客員教授。人を育て活かす「上司力」提唱の第一人者。リクルートを経て、2008年に管理職・リーダー育成・研修企業のFeelWorks創業。「日本の上司を元気にする」をビジョンに掲げ、「上司力研修」「50代からの働き方研修」「新入社員のはたらく心得」などで、400社以上を支援。
近著に、『部下全員が活躍する上司力5つのステップ』(FeelWorks、2023年3月)、『部下を活かすマネジメント「新作法」』(労務行政、2023年9月)、『Z世代の早期離職は上司力で激減できる!』(FeelWorks、2024年4月)など。